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3.11のこと。

3.11のこと。

10年目の3.11は出番だった。
あの日のことを想う。
タクシーを運転するようになって2年経つかどうかの頃だった。
徹夜仕事明けの日で、足立区にあった会社の寮で一人寝ていた。
相部屋の同僚2人は出番でいなかった。
突き上げる揺れで目は覚めたが、布団にくるまったまま。
もう揺れが止むだろう、止むだろうと思っているのに、揺れが収まらない。
マンションのドアを開けておいたほうがいいだろうかと考えながら、半身を起こしたが、動く気にもなれず。
幸い、家具らしきものは何もない部屋で、部屋の隅に積み上げていた本がバサーッと布団の上に崩れ落ちてきて、起き上がったが。
何冊かの本を手に持ったまま、頭はまだ寝ていた。
テレビも持っていなかったので、どこで地震が起きたのかも分からず。
ラジオをつけて東北が震源だったことを知った。
湘南にいる家族と電話もつながらなかったが、無事であるとメールは入れた。
東北出身の友人、知人の顔を思い浮かべたが、ほとんどが東京在住で、すぐに安否を気にする付き合いでもなかったから、その日はそのまま、また寝てしまった。
あの日の夜の記憶がない。

災害は、ライター時代、長く関わってきたテーマのひとつだった。
阪神淡路の震災には、3日目から現場に入り、3年つき合うことになったし、雲仙普賢岳の噴火災害やその後の復興事業の取材にも何年も関わった。
本の編集者、ジャーナリストとして、突発的な災害に遭ったときになにをしないといけないかを重々承知していたはずだが、ライター稼業から足を洗って、まったく別の仕事に就いて、担当編集者ともほとんど連絡を絶ってしまった時期だった。被災地に取材に出かけられるような体力も経済力もないことは自分でも承知していた。被災地の取材というのは、食糧も足も自分で調達しないといけない。
あの夜だって、また災害報道に復帰するかどうかを考えはしたはずだ。
神戸の取材では、地元の自転車屋さんで中古の自転車を買って、最初の2か月は公園野宿だった。被災地に入るとなると、バイクがなけりゃ、身動きも取れないだろう。断続的に徹夜が入る週刊誌や月刊誌の原稿の〆切りに耐えられるかどうかを考えれば、まず無理だった。クモ膜を患い、リハビリで回復はしたものの、どうやらタクシードライバーとして社会復帰したばかりという健康状態だった。

普段、タクシーに乗っているとき、昼間はラジオをつけないのだが、今日は、ラジオを聞いた。
神保町で弁当を買って、靖国神社のそばに車を停めて、弁当を食べながら、被災地の方々の声や便りを聴く。聴いているだけで泣いてしまった。
東北大震災について考えようとするとき、被災地の人たちと現実的になにも連帯できなかったという申し訳なさでぼくの胸はいっぱいになってしまう。

聴きたくもないNHKで追悼式の実況を聴く。
エーッ!? 東北大震災の追悼式なのに、仙台でも、盛岡でも、福島でもなく、東京でやっているという違和感。
1万8500人があの日、亡くなって、その後に亡くなった方も含めれば2万2200人の方が亡くなった、その追悼式だ。
祝い事じゃなくて命日なんだよ。ここまで復興が進んできていますよという報告会じゃねえんだからよ。
だいたい、フクイチのどこが復興しているんだよ、アンダーコントロールなんてまったくウソじゃねえかと心のなかで毒づいている。

あの日の翌朝、6時前だったか。会社からの電話でたたき起こされた。
電車が止まってしまったため、出勤できないドライバーが多いので、急いで出社してくれ。お客さんが大勢、待っているとのこと。
同部屋の同僚もまだ帰ってきてなかった。
自転車で、30分ほどの北千住の営業所に行く。
営業所の前に200人近い行列が出来ていた。前夜、自宅に帰れなかった人たちが、電車も動いてないから、駅前にあるタクシー会社に行列して待っていたのである。
最初のお客さんは越谷まで。普段なら1時間ちょっとで往復できるところだが、道路が大渋滞。3時間半かけて北千住まで戻った。
「回送」にして戻ってきたのだが、あと少しで営業所というところで、親子のお客さんに懇願されてお乗せする。茨城の龍ケ崎まで行ってほしいとのこと。電車がストップして行きようがないのだそうだ。家族が地震でケガをして、病院に運ばれたのだが、その病院までとのこと。
営業所のすぐそばだったので、ひとまず営業所まで帰り、お客さんにもトイレを済ませてもらい、営業所にあった水のボトルを何本か積んで、11時に出発。大きい幹線道路は送迎車で満杯状態になっており、裏道を選んで走ったが、6時間かかり、東京まで戻って来れたのは夜9時を過ぎていた。

<この項、続く>

千客万来大歓迎!

「コメント、質問の類はこちらまで」

「お父さん、なんですの、その貼り紙?」
――若いときの淡島千景風のおかみさん、玄関先から箒を持って現れる。

「いや、訪ねてくださった方が迷ったらいかんと思うてね。ここへ貼っておこうと」
「しつもんのルイ? ルイって、なんですねん」
「ルイじゃなくてタグイと読んでください。たぐいとね。たぐい」

「ルイでもタグイでもええんですけど。なんでさえ、うちのブログは高飛車や、
敷居が高そうやと言われておるんでしょ。
倉庫みたいな重いもんばっかり積み上げて、あのオッサン、なに考えとんやって。
和さんなんか、夕べもはっきりそう言ってました」

「いや、彼がいったのは、正論には正論の重みがありますねえと…」

「都合のええ解釈ばっかりしてから。
せっかく来てくれはったお客さんがいんでしまうようなかた苦しいこと、
わざわざ札まで出さんでもよろしいんと違います」

「そうかねえ、ウ~ム。まあ、そういう見解もあるかもしれませんが…」


「ごめんください」
「はーい。はいはい」

――姉さんかぶりの手ぬぐいを取って、玄関の木戸へカランコロンと小走りに出るよしえ。

「いらっしゃいませ。どうぞ、お入りになって。お父さん、お客さま」

―― 一杯飲み屋のような紺地に白抜きで「千客万来」と大書きしたのれんを
不思議そうにくぐる来客。

「千客万来は縁起物やゆうて、吊したままにすることにしたんですわ。どうぞ、どうぞ。
遠慮なんかせずに。どちらからお越しで。まあ、そりゃまた、遠方からご苦労はんなことで」

「やあ、どうもどうも…。お母さん、お母さん、お茶」
「いやあ、初めまして…」


――来客、風呂敷包みを解きながら、

「粗末なものですが…」

と、口中でつぶやきつつ、コメントを玄関の上がり口に置く。

「まあ、気を遣っていただいて。お母さん、結構なものをいただきましたよ」


…昭和34年ころまでの玄関先の礼儀でありました。
いい時代でしたなあ。いま思い出しますと…。


――遠くを見つめているとらオジ。目をしばたたかせている。


――とらオジの後ろでよしえさん、めくりをめくる。
それはさておき、この玄関先を普請中のあいだ、コメントやご質問、そこはかとない書き込みなどの場所にさせていただきます。

――二人、並んでお辞儀。

質問をいただきましたら(お題をいただきましたら)、さっそくナマモノの調理に
とりかからせていただきます。


おもしろいお題には、「ハイハイ、山田君、座布団差し上げて」。

それぞれのレポートについてのコメントはその項目にお書き込みください。
苦情、クレームにつきましては、できますればご遠慮させていただけましたら。

よしえさん、きっぱりと、

「隅から隅まで読み終わるのは不可能な構造になっておりますし、
やばいモノの上にはまたアップロードで隠してしまう予定ですわ。
ささいなことには目をつぶりましょう。ネッ。」


――ウィンクするよしえさん。

「お母さん、さあさあ、いただいたコメントを見せていただこうじゃないか」

ひな祭りの午後、今日も平和なとらオジ宅であった。


コメント欄はこのページのいちばん下です。
(広告の入れ方を直す時間がなくてゴメン)


フーゾク系と判断されるコメントは、即時、削除。
なんとも判断しかねるコメントは暫時、削除します。ご理解を。

世界女子ソフトボール選手権 4

第2先発 藤田倭に託された役割

藤田倭

日本代表チームは、世界選手権が終了してすぐ、インドネシアのジャカルタで開催される第18回アジア大会に移動。
8月18日に行われた開会式では、上野由岐子選手が日本選手団の旗手として選手団の先頭に立って入場した。

アジア大会の予選ラウンドは一昨日(8月19日)から始まっている。
出場国は、日本・フィリピン・台湾・中国・韓国・香港・インドネシアの7か国。
アジア大会では2002年から日本が4連覇中で、この大会で5連覇を目指す。
総当たり制の予選ラウンドのあと、上位4チームによる決勝トーナメントが行われる。
8月19日は「日本 7- 0インドネシア」 (5回コールド)勝ち投手 濱村ゆかり
8月20日は「日本 3-1 台湾」藤田倭→濱村ゆかりの継投と思われるが、詳細情報未着。
前回大会銀メダルの台湾、世界選手権では失速したが、実力はあなどれない。日本チームに善戦したようだ。
決勝トーナメントには、日本、台湾、中国、フィリピンの4チームが生き残るのではないだろうか。
今回のアジア大会では、世界選手権で登板機会がなかった若手の濱村ゆかりと、上野由岐子に次ぐ2番手先発となった藤田倭を中心にローテーションを組むと見られている。

世界選手権に話を戻す。

藤田倭である。ピッチングとバッティングの二刀流。
バッティングの方は、世界選手権全試合12試合に出場して、32打席10安打、打率.313、打点9、HR5本。優勝決定戦のアメリカ戦での2本のHRをはじめ、4番の山本優と並んで、ここぞというときの得点源として機能した。

ピッチングは、5試合で22回と1/3を投げ、失点5、自責点4、防御率1.25。
イギリス戦と準々決勝アメリカ戦で完投。イギリス戦では6回終了時まで完全試合ペースだったが、最終回フォアボールからヒットを打たれるも、ピンチを押さえて完封。
アメリカ戦では、日本が序盤に先制して優位に試合を進めながらも、2本のHRなどで追いつかれ、「3-3」のままタイブレークとなって、8回にサヨナラ打を浴びる。

藤田の会見のやりとりがとても面白い。残念ながら、彼女が勝ったグループリーグのイギリス戦はほかの球場で別のカードを観ていたため、後日、速記録を見たのだが、投手として任された先発ゲームを完投して勝利投手になる喜びにあふれている。

藤田倭インタビューイギリス戦

この完封で、宇津木麗華監督は、決勝トーナメントの最初のアメリカ戦を藤田倭にすべて任せようとあらためて心を決めた。

藤田倭自身、アメリカ戦後の会見で、
「監督やチームのみんなから期待されるってことは、やっぱりそれを結果で返さないといけないっていう思いが、自分も強かった。決勝トーナメントのマウンドに立つっていうこと自体が初めてなので、やっぱりここで使ってもらえるっていうすごい熱い気持ちにもなれましたし。そこで、結果を出したいっていう強い気持ちにもなりました。でも結果がすべてなので。自分自身が何を得たとしても、すごい経験をさせてもらったんですけど、やっぱり上野さんだったり、いろんな選手の負担がかかるのは間違いないので。やっぱりここでしっかり結果を出し切れる選手になりたい」
と語っている。

藤田は上野のような豪腕タイプの投手ではない。ボールを内外角に散らして、コツコツ打ち取っていくタイプのピッチャーである。アメリカ戦で29人のバッターに対して、被安打8(うち2ソロHR)、与四球4、奪三振1で失点4(最後の1点はタイブレーク・ルールによるもの)は、見事なピッチングである。

ただし、気をつけて投げながら、2本のHRを打たれてしまって追いつかれたところに、それはいわゆるポカではなくて、打たれたには打たれたなりの理由があると思うのである。

実は、この試合は、7回裏、アメリカの攻撃で、一死一二塁でバッターに2番のジャネット・リードが入ったときに一度、サヨナラになりかけたように思う。カウント「3-2」からリードが打ったライト前へのヒットが当たりが強すぎたために、セカンドランナーが還れず、満塁になってしまうのだが。

藤田に聞いてみた。
――球数が増えたのはメンタルの問題ですか? それともそれだけ警戒して投げたということか?
「記者の方は、皆、メンタル好きですね」と、笑ったあとで。
「やっぱりあの場面は何としてでも抑えなきゃいけないケースなので、自分のメンタルは冷静でした。でもバッターとの駆け引きで、ボールカウントが増えたりだとか、そういうことはしましたけど、自分は思い切って『負けない!』」という気持ちでマウンドには立ってました」
と藤田は応えた。

「メンタル好きですね」という反論は、「私たちはソフトをスキルでやっているんです。メンタルでやっているわけじゃない」という彼女なりの皮肉だ。それをちゃんと言葉に出して話すことができる藤田倭をぼくは尊敬する。

ただし、ぼくの質問は、打たせて取るタイプのピッチャーが、相手バッターに粘りに粘られたときに陥るピッチャー・イン・ザ・ホールという問題を考えるのである。
「負けない!」という強い気持ちが、冷静さを忘れさせてしまうこともあるのではないか。

ジャネット・リードは、2ストライク後、一球毎にバッターボックスを外しては、内角にストレートに放られても差し込まれないように、レベル・スイングを繰り返した。彼女は、2つのストライクを取られたチェンジアップには手を出さなかった。スピードボールしか狙っていなかったのは明白だった。
なのに勝負球はストレートだった。

ジャネット・リードにも、質問してみた。
「2ストライクを取られていたから、コンパクトに振って、打ち返すことだけを心がけていました。イメージ通りの打撃ができた」

3回にオーブリー・ムンロにカウント「3-2」から打たれたソロHRも、あのときはノーアウトでフォアボールを避けたいところだったから甘いコースにいってしまったという事情はあるが、打たせて取るタイプの藤田がしてはならない失投だったと思う。

配球については、キャッチャーの我妻悠香に聞いてみたいところだが、日本チームの頭脳として修行中の彼女は、いまそれどころではないので、聞くことができない。

何十段も階段を上がった記者席からだと、高低の配球がわからないので正確ではないが、世界選手権での配球は、上野にも藤田にも、気持ちよく投げてもらうことを最優先にしていたように感じる。
宇津木監督は、今大会は、試合中は、我妻の判断に任せた。口を出したい、タイムをとってアドバイスをしたいという気持ちを抑えて、我妻を成長させるために、どんなピンチにも、できる限り、タイムさえ取らなかった。我妻の成長なしに、オリンピックでの勝利はないとさえ考えているはずだ。

ついでに、ジャネット・リードについて。
ジャネット・リード

彼女は、カリフォルニア、アナハイムの隣町で生まれ育った、日系二世選手である。お父さんがタケダさんという日本の方。お父さんの指導でソフトボールを始め、オレゴン州立大のカレッジ・ソフトボールでの活躍を認められて、チームUSA入り。
日本語はできないが、日本で開催される世界選手権やオリンピックに出場できることを運命のように感じているそうだ。日本のファンから「タケダ」という名前を見て、日本と関係があるのですかとよく聞かれるそうだ。大学ではジャーナリズムを専攻。将来は、スポーツ・ジャーナリストを目指しているのだそう。
オレゴン州立大の同級生のジェイク・リードと結婚している。ジェイク・リードは、ミネソタ・ツインズ傘下のAAAの右腕投手。

2018.8.21

追記を表示

世界女子ソフトボール選手権 3

心理的パニック状態が起きるのがソフトの面白さ。
ラリッサ・フランクリン
中央26番がラリッサ・フランクリン(カナダ)

ソフトボールの面白さというのは、守備も攻撃も野球のようには簡単に予測がつかないことにつきるだろうか。

野球は、アウトカウントやランナーがいるかどうか、投手がどのような配球で勝負していくかなど、攻撃側も守備側も事前に予測して、それに対応して、なにをすべきかを頭に入れてプレーするのだが、ソフトボールは野球系のゲームではあっても、突発的な事態がしばしば起きるスポーツである。予測できなかった当たりに一瞬でも躊躇(ちゅうちょ)すれば、セーフ。観ている方からすれば、どうしてそっちに投げるかねと思うのだが、追い詰められた守備側はしばしばエラーやフィルダースチョイスをおかしてしまう。

野球と大きく異なるのは、塁間の狭さだ。
野球の塁間が27.4mに対して、18.92mしかない。ボールを打ったバッターは2.6秒前後で一塁ベースを駆け抜ける。

今大会でいちばん足が速いなあと思われたカナダの二塁手、ジョイ・ライなどは、たぶん50mを走らせれば6.0秒を切ると思うので、塁間を2.2秒前後で走っていたと思う。彼女などは、球をうまく殺すことができれば、楽々セーフ。

内野手はファンブルしたり、当たり損ねのゴロだと、捕っても一塁はセーフになることが多い。子供時代にソフトボールをやったことのある方ならご承知のとおり、ソフトボールの球は大きいけども、芯を捉えないと、ボールにスピンがかかってキャッチしにくい。

野球でも、フライ凡打がいちばんいけないとよく言うが、ソフトボールもそのとおり。フライだと、守備動作はフライ捕球の1回だけ。ゴロを転ばせば、捕球、一塁への送球、一塁手のキャッチと、守備動作は3回あるので、どこかでミスが出ると、一塁はクロスプレーになる。塁上にランナーがいると、フィルダース・チョイスがしばしば起きたり、野球なら挟殺になるところが、ランナーが残ってしまうというケースが多い。

準々決勝の「日本-カナダ」戦で、山崎早紀が3回裏二死ランナー無しで左中間に強烈なライナーの当たりを打った。カナダのセンター、ラリッサ・フランクリンが最後は懸命に腕を伸ばしてダイビング・キャッチを試みたが、捕りきれず、ボールは彼女の体に当たって、レフト方向に転がった。レフトはフランクリンのバックアップに走っていたので、だれもボールの方向にいない。山崎はそのまま三塁ベースも回ってランニングHRで2点目。野球だとああいうプレーが起きても三塁止まりだろう。一瞬のミスが痛い失点となる。

この回、フランクリンにはもう一つつきがなかった。続く山本優がセンター前ヒット。渥美万奈が続けてセンター前へクリーンヒット。フランクリンは三塁へ走った山本優の封殺を狙ってサードに返球したが、そのボールが山本と交錯して暴投となり、山本が生還して3点目。

「上野由岐子が投げている試合で、ああいうミスをすると、勝ちようがない。1-0 のクロスゲームでいくつもりだったのだけど、まあ、仕方がない」と、試合後、語ったのはカナダのマーク・スミス監督。

マーク・スミス監督は策士である。カナダは「グループB」を3位抜けしてきたのだが、あえて2位抜けを回避したのではないかというのが筆者の読み。2位抜けだと、決勝トーナメント初戦で、「グループA」1位抜けがほぼ確定のアメリカと当たることになる。

グループリーグの後半から様々なオーダーを試してみて、選手たちの調子を見極めながら、決勝トーナメントに入ってからも打順を手直しして、オーストラリア戦、日本戦でベスト・オーダーを組んできた。

カナダは、今大会で東京オリンピックの出場権を獲得することはできなかったが、アメリカ大陸予選で2チームが出場権を得られるので、ライバル国のメキシコとプエルトリコは難敵ではあるが、実力からすれば、カナダは出場権を獲得してくるはずだ。

従来の8チーム出場制から6チーム制に変更されるので、ピッチング・スタッフの強化が進むと、カナダはあなどれないライバルになってくると思う。

ラリッサ・フランクリンについて、ついでに書いておくと、彼女は、決勝トーナメントの初戦、オランダ戦「カナダ 8-1オランダ」で、3ラン、2ラン、試合を決める2打点の二塁打と7打点を上げている。この日、彼女は8番バッター。5回コールドゲームで、1打者が7打点というのは、あまり観たことがなかったので、試合後、ベンチ裏に、このカナダのスラッガーに話を聴きにいった。
「スラッガーだなんて。7打点なんて、自分でも初めてです。高校や大学のチームでもこんなに打ったことはありません。強打よりも、とにかく塁に出ること、勝利のチャンスを作ることに貢献できたので最高です」
と、現在はウエストケンタッキー大でスポーツ心理学を勉強している大学生は、はにかみながら笑顔で応えてくれた。

翌日のプエルトリコ戦から6番に起用されて4打数2安打、オーストラリア戦では1HR、センター前ヒット、三塁強襲ヒットと3打席3安打。
カナダチームの打線活性化の立役者となったフランクリンを徹底マークで抑えきった上野に軍配が上がったのが3位決定戦となった日本戦だった。

2018.8.17

世界女子ソフトボール選手権 2

上野が打たれて敗れたことは不思議ではない。

左マーク・スミス カナダ・チーム監督 右ケネス・エリクセン アメリカ・チーム監督左マーク・スミス カナダ・チーム監督 右ケネス・エリクセン アメリカ・チーム監督

「上野を倒すために、どのチームも戦略を練っている。北京から10年経って、世界のソフトボールはものすごく進化して、厳しい競争期に入っている。日本に勝つため、上野を打ち崩すためにどうすればいいかというのが進化の原動力になっているんだ」
と語ったのは3位カナダチームのマーク・スミス監督。

「1試合だけであれば、一人のスーパー・プレイヤーがいれば、勝てるかもしれない。しかし、こういう大きなトーナメントやオリンピックというのは、もはや1人のスーパー・プレイヤーでチャンピオンになることはできないのだ。上野は素晴らしいピッチャーさ。同じ日に7回を投げて完封して、3時間後には次の試合で10回を投げるなんていうピッチャーは世界のどこにもいない。そんな日本チームと戦うには、われわれはチーム全体の総合力で上回るしかないんだ。打線はもちろん、ピッチング・スタッフだって、上野と対等に戦うために、5人の投手が連携して戦う。そうしなければ、日本に勝てない」
優勝したアメリカチームのケネス・エリクセン監督。

今大会の優勝チームには、東京オリンピックの出場権が与えられる。そのことは、北京五輪以来、ロンドン、リオと競技種目として認められてなかったソフトボールの選手たちには、大きなモチベーションになった。

開催国の日本も含めて、たった6チームしか出場できないオリンピックなのだ。
世界ランキングでも上位を占めるアメリカ、カナダ、オーストラリア、メキシコなどは、今大会での優勝は無理だとしても、引き続き予選が行われることになる大陸予選での優位を目指して、チームも選手も、今大会に臨む意識が高かったように感じた。

日本は開催国枠で五輪出場が決まっているので、現在は強化中という段階。
グループリーグの試合を観ていても、アメリカやカナダが送りバントやサインプレーをビシッと決めてくるのに、日本は再三、送りバント失敗や、守備ではフィルダースチョイスなどが目立った。言ってみれば、日本だけが厳しいソフトボールをしていなかった。送りバント失敗でも、その後で盗塁成功すればいいだろうというのは、「結果オーライ」のソフトボールであって、相手が嫌がる試合運びはできていなかった。

決勝トーナメントに入る時点で、総合力ではアメリカが一枚上、二位が日本、三位がたぶんカナダということになるだろうと予想したとおりの順位になった。

アメリカとの優勝戦に敗れた後、記者会見で宇津木麗華監督に、10回のピンチで、タイムを取ってマウンドに行くつもりはなかったかと聞いた。
「上野の気持ちを折るわけにはいかないので、タイムをかける気持ちはなかった」
と宇津木監督。

上野投手にも、10回2死ランナー一・二塁でムンローにカウントが悪くなったときに、キャッチャーをマウンドに呼ぶなり、タイムを取るつもりはなかったかと聞いた。ムンロー勝負でいくのか、次のバッター勝負でもよかったのじゃないかという質問だが。
「タイムを取ったりすることは考えなかった。打たれるなんて思わなかったから」
力で押さえ込めると思った?
「ええ、打ち取れると思ってましたから」
一本気の上野由岐子は、勝負にいくに決まっている。
延長になってからも、110km台のスピードボールを連投していたのだから、体力的に疲れが出ていたわけではない。
しかし、気持ちがはやった分、配球が一本調子になったのではないか。
宇津木監督でさえ、タイムをかけることができないのに、若いキャッチャーの我妻に、ピンチを迎えたときに上野をコントロールすることなど、期待しようがないだろう。

「6点とってもらったのに、7点取られて負けたのではどうしようもないじゃないですか」と上野は自嘲気味に首をひねったが、上野が投げる試合には、監督もキャッチャーも、ほかのメンバーも口をはさめないということは、上野は一人で戦うしかないということになる。

勝ったアメリカチームからは、エリクセン監督と、先発したリケッツ投手、クローザー役のアボット投手から話を聞けた。

エリクセン監督
「世界でいちばん偉大な上野を打ち込んで、最大のライバル日本に勝った選手たち、すべての力で勝ち取った勝利であることを誇りに思う。5人の投手がそれぞれ連携して、山田や山本といった強打者との相性を考えながら、持ち味を出してくれた」
リケッツ投手とアボット投手はどちらも日本リーグでプレイしているので、日本チームについては熟知している。
先発のリケッツ投手に聞いた。
――先発して、降板してから、5回にまた投球練習をしているので驚いたのだが、最初からまた登板する予定だったのか?
「私自身、監督から、また投げてもらうから準備しておいてと言われてビックリしました。準々決勝でも、投手と一塁と両方やったから、似てはいますが、今日は特別の試合だったから、勝利に貢献できてよかった」
アボット投手には、クローザー役について聞いた。
「今日は最初からクローザー役でということで、6回からいけるようには準備していましたが、試合がもつれる展開になったので、いつ登板になるか予想できなかった。今日は打たれてしまったけど、この優勝で五輪出場が決まったことを喜びたい」

エリクセン監督は5人の投手と言ったが、リケッツ投手は1回から3回まで投げて、一度、降板。6回表からリエントリーで再登板しているので、実際には6人の投手で分担登板したということになる。

ソフトボール特有のリエントリー・ルールを駆使した繊細な継投策に、日本は準々決勝、決勝と2回敗れたわけで、エリクセン監督が言う「ソフトボールは一人のスーパー・プレイヤーの力で勝利を勝ち取るゲームではない。チームの総合力で勝つんだ」という言葉が実証されてしまった。

オリンピックまでにはまだ2年ある。その2年で、日本がどのような強化策を実行できるのか、上野に続く若手投手のスキルアップ、エラーやミスの多かった守備連携の強化などが必要なのはいうまでもない。

また、試合の采配については、監督が上野にだってドシドシ、モノを言う風通しの良さを作る必要があるだろう。

上野由岐子の存在があまりに大きすぎるために、10年経っても上野頼みが続いてきたわけだが、そのままでは、決勝トーナメントの最後の3試合で息切れしてしまうだろう。

2018.8.14


Appendix

プロフィール

「どうも。石川とらでーす」

Author:「どうも。石川とらでーす」
筆者プロフィール==>
http://tra3.blog43.fc2.com/blog-entry-2.html

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