写真2:2005年3月24日 イラン-日本戦直前の観客席。アザディ・スタジアムは午前8時半開場と同時に、ファンで満員となった。10万人収容のスタジアムに12万人近くの観客が詰めかけた。ぼく自身、10万人を超える観客の試合を観たのははじめて。...
サッカーW杯予選「イラン―日本」戦の取材でテヘランに来ている。残念。日本、後半に福西崇史選手(新居浜出身)の同点ゴールで「1―1」に追いついたが、イランに追加点を許し、「2―1」の惜敗。テレビの前で応援をした読者も多いことだろう。「1―1」の同点の後、アウェー・チームの日本としては、「引き分けでよし」と守りの再確認をすれば、終盤のゲーム展開は変わっていたのではないかと疑問の残るゲームだった。アジア屈指...
テヘランより石川とら 2005/03/25まず、「2-1」の敗戦は、予想の範囲内というか、たぶんこうなるだろうと見ていたとおりです。前半30分を守り切ることができると、「0-0」ドロー型のゲームをすることができたかもしれないのですが(ホームで得点できないと、イラン、焦りがちになるチームなので)、俊輔の負傷セットプレーからの失点、あれは致し方ないでしょう。加地(だったか?)がつぶされてしまいましたが、ああいうフ...
アテネ五輪サッカー準決勝でイラクがパラグアイに敗れた同じ日、野球準決勝で、「長嶋ジャパン」がオーストラリアに敗れるという波乱が起きた。「長嶋ジャパン苦戦中」という電話を日本からもらったのはアテネからテッサロニキへ移動の車中。次の日にアテネに戻って決勝戦の観戦記を書くことになっていたのが、長嶋ジャパンの敗因分析を書いてもらうことになるかもしれないという連絡である。結局、オーストラリア戦の終盤は、その...
アテネ五輪サッカー準決勝「イラク-パラグアイ」戦は、イラクが「3-1」で敗れた。ギリシャ入りして5戦目、パラグアイはオーバーエージ枠の選手がチームに馴染み、日本戦のときと違って攻守ともにほぼベストな状態に仕上がっていた。戦術ミーティングで、パラグアイのフォワード、カルドーソを要注意と伝えてあったのだが、カルドーソひとりにかき回されて前半で2失点を喫し、追いつくことができなかった。イラクがメダルを獲...
写真2:2004年8月24日 パラグアイ戦のイラク・サポーター。この日のサポーターは、クレタまでのゲームと違い、イラク国内から応援に来たサポーターは少なく、欧米亡命組が多かった。欧米亡命イラク人がイラクチームの奮戦にたまらず、テッサロニキに集まってきたともいえる。■イラクサッカー支援 次の記事へ--->http://tra3.blog43.fc2.com/blog-entry-34.html...
アテネ五輪のイラク・サッカーチームの話に戻る。イラクがオーストラリアを破った翌朝、クレタ島からアテネに戻り、女子マラソンの取材。イラクチームからは準決勝の対戦相手パラグアイのデータを頼まれていたので、「日本-パラグアイ」戦のレポートとパラグアイのフォーメーション分析をファックスで送り、ゲーム開催地のテッサロニキへと向かう。この前後の記憶、40度近い猛暑と徹夜の連続で寸断している。テッサロニキで「イラ...
横浜でのW杯決勝戦から一週間後、決勝戦に臨席していた韓国のある高官に、金大中大統領が決勝戦当夜の「テポドン騒動」を知っていたかどうか聞いた。「嘘でしょう。そんなハリウッド映画みたいなことがあったなんて」と、O氏は悪い冗談だと笑ったが、日本の新聞各紙に出た小泉首相の談話記事を見せると、「もし大統領にこの情報が寄せられていたなら、われわれにもしかるべき指示があったはずですから、大統領はこの件を承知して...