1 ソウル
5月26日(2002年)。夕刻、仁川着。
仁川空港は思っていたほど、混み合っていなかった。
開幕まであと5日。空港のKOWOC(W杯韓国組織委員会)のカウンターには、各国語のボランティアが待ち受けている。日本語担当のボランティアは、ソウル在の日本の50年配の男性。韓国現代史の研究で留学しているとのこと。
「せっかくの日韓共催ですから、少しでもできることでお役に立てたら」
と、ボランティアに応募したのだそうだ。
今日はあまり日本の方はいらっしゃってないからと、携帯電話のレンタル手続きなど、こまごまと世話を焼いてくださる。ありがたい。
5月末のソウルは日暮れ時になっても暑い。日本ほど湿気はないが、夕陽にきらめく漢江の向こうに埃っぽいソウルの街並が陽炎で揺れて見えた。
この暑さがトーナメントにどのような波乱を巻き起こすことになるのか。
ソウルに来るのはこれで5度目になる。
ぼくにとっても韓国は近くて遠い国だった。W杯の共催がなければ、こんなにたびたび韓国を訪ねることにはならなかっただろう。
初めて韓国に来たのは2000年の7月。「EURO2000」の取材の帰りに、韓国側の開催準備状況を見るために、ソウル、水原、仁川、全州、光州、蔚山、大田の7つの開催地を駆け足で回った。それ以来、コンフェデレーションズ杯やファイナルドロー(組合わせ抽選会)など、W杯関連のイベントがあるたびに韓国にやって来るようになった。大邱と釜山にもその後、出かけているので、韓国の10開催地では、済州島の西帰浦以外の9つの開催地は訪ねている。
大会中は日本と韓国を3往復する。日本開催と韓国開催のゲームをほぼ同数、12試合前後観るつもりでいる。
今大会は、幸運なことにFIFAから取材パス(アクレディテーション・パス)が下りた。
98年大会も、「EURO2000」も、取材パスがないために苦労した。この人物に会って話が聞きたいと思っても、またその人物はスタジアムのどこにいるとわかっていても、面会することもできなかった。
ぼくがサッカーについて原稿を書くようになったのは98年大会以後である。
1年前には取材パスをもらえることになるとは想像もしていなかった。W杯の取材パスなどというものは、新聞や通信社の記者か、実績も経験もあるサッカー・ジャーナリストに与えられるものだと考えていた。
昨年末に日本サッカー協会を通じて、取材パスの申請を出した時点でも、受理してもらえるかどうか半信半疑だった。申請はしたものの、ダメだった場合はどういう方法で2002年大会を取材をするか悩んできたのである。
アクレディテーションが下りたとき、20数年、W杯の取材をしてきた友人たちからは、いくらなんでも3年や4年でパスをもらえるなんてとあきれられた。
FIFAのエージェント問題やW杯の運営について取材している日本人ジャーナリストが少なかったせいもあるだろう。開催国枠で日本人ジャーナリスト向けのアクレディテーションの枚数が増えたこともあり、申請を受け付けてもらえたということだろう。
サッカーライターでもないフリーランスのジャーナリストをオブザーバーとして受け入れてくれた日本サッカー協会(各国協会が事前に申請希望者の審査をしてFIFAに推薦する形をとる)やFIFAには感謝している。
ぼくのグループリーグの観戦予定カードを書いておこう。
5月31日 ソウル フランス─セネガル
6月1日 蔚山 ウルグアイ─デンマーク
6月2日 光州 スペイン─スロベニア
6月3日 蔚山 ブラジル─トルコ
6月4日 光州 中国─コスタリカ
6月5日 水原 アメリカ─ポルトガル
6月6日 釜山 ウルグアイ─フランス(札幌へ移動の可能性も)
6月7日 札幌 アルゼンチン─イングランド
6月8日 茨城 イタリア─クロアチア
6月9日 横浜 日本─ロシア
6月10日 全州 ポルトガル─ポーランド
6月11日 仁川 デンマーク─フランス
6月12日 大田 南アフリカ─スペイン
6月13日 ソウル トルコ─中国 (大田 コスタリカ─ブラジルの可能性も)
6月14日 大阪 チュニジア─日本
どのカードを観戦するかを見れば、どのチームを重視しているかがわかる。
ぼくの観戦予定は、グループリーグは韓国サイドを多めに。チームでは、フランス、ポルトガル、ブラジル、スペインを重視。ベスト16戦から日本サイドを転戦する。
連日移動になる。ところどころで週刊誌の原稿の締切りが入るので、そのまえの晩は徹夜になる。体が最後まで保つかどうか。
でも、試合後はホテルに泊ることができるし、今回は取材パスもある。バックパックで自炊に野宿、チケットを探しながらの取材だったフランス大会のことを思えば、大名旅行のようなものだ。
ただし、今回は大会直前のFIFA総会の取材もあり、スーツにネクタイまで持参になった。デジカメやらパソコンやら、取材装備がハイテクになった分、荷物が増えて機動力が落ちてしまったのが困りものだ。
ソウル、水原、仁川、大田でのゲームは、ソウルから通うことができる。
韓国でのベースキャンプは、ソウルで常宿にしている「剛の家」という日本人向けの民宿。主人の金喜雄さんは日本の書籍の翻訳家。長渕剛の大ファンだそうで、宿の名前を「剛の家」としたのだそうだ。日本語でメールのやりとりができるので、列車やバスの予約を日本から頼んだり、ときには通訳をお願いしたり、頼りになる方だ。
個室で1泊5000円。韓国の民宿としては高級だが、ソウル駅から歩いて7、8分と足の便がよく、深夜帰りになることが多いサッカー取材では、タクシー代がかからないのがありがたい。それとブロードバンドのインターネットを自由に使わせてもらえるのも取材には大助かり。
夕刻、「剛の家」で大会前最後の親善試合「韓国─フランス」戦をテレビで観戦。
朝の便でやって来れば、水原まで観にいくことができたのだが、出発前の最後の原稿に手間取り、午後便になってしまったため、出かけることができず。
この間までサッカーには興味がないと言っていた金さん、家族全員がテレビを見ながら叫びっ放しである。1年前のコンフェデ杯のときとは大違いだ。
もっともこれは金さんの家だけではない。韓国のチャンスのたびに、まわりの家々からも「テーハミング!(大韓民国)」という声援やため息がこだましてくる。
「剛の家」のある厚岩洞(フーアンドン)という地区は、ソウル名物のテレビ塔「ソウルタワー」が建っている南山という山の麓にある。戦前は日本人街があったところだそうで、坂道の路地に沿って古い家並みが建て込むソウルの下町である。
コンフェデ杯では、韓国はメンバー落ちのフランスに「5─0」と大敗した。大会直前のゲームで下手な負け方をすると志気がそがれるのではと心配していたのだが、いらぬ心配だったようだ。ゲーム終了直前に逆転されたものの、世界王者を相手に「2─3」の善戦。
直前の対イングランド戦も「1─1」のドローだった。さすがヒディンク監督。本番に合わせてチームをベストピッチに仕上げてきた。ベテランと若手をうまく組み合わせて得点力もあるチームに変身させている。フランスを相手に2点取った自信は大きいだろう。韓国、侮れずである。
心配なのはフランスだ。前半終了前にジダンが負傷退場。大きなケガでなければいいのだが。ピレスがいないうえに、ジダンまで欠場などということになれば緊急事態だ。ディフェンスも98年にくらべれば、明らかにバタバタしている。
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