
アテネ五輪でサッカーの日本代表チームの敗退が決まってから、イラクのゲームを四試合、追いかけることになった。
イラクチームとは二月に東京で行われた日本戦ではじめて会った。ゲーム後、ベルンド・シュタンゲ監督から、彼らが戦火を逃れて各国を転々としながらトレーニングしているという話を聞いた。
シュタンゲはドイツ人。バクダッド陥落後、イラクに戻り、選手たちを再招集してイラクのサッカーを復興するという困難な事業に立ち向かったプロ・サッカーコーチである。
「練習場がない、機材がない、予算がない、ユニフォームもない、すべてがないないづくしからの再スタートだった。各国協会はもちろん、ブッシュ、ブレア、ベルルスコーニ、ありとあらゆる世界各国の政治家や企業に何百通と手紙を書いた。われわれにトレーニングの場を与えてください、イラクチームにゲームの機会を与えてくださいとね」
シュタンゲの要請に応えて、ドイツ、イングランド、日本、オーストラリアなどのサッカー協会が手を差し伸べた。イラクチームは国を離れ、各国でトレーニングを続けながら、最後に五輪アジア予選を突破してアテネ入りするのである。
スポーツの世界だからこそ、戦地イラクに向けて、政治とは離れた形でなんらかの支援ができるのではないか。シュタンゲの話に感動して、その晩、ぼくはFIFA(国際サッカー連盟)や各国の記者仲間に向けて、イラク支援呼びかけの原稿を配信した。
「日本とのゲームはイラク国内でもテレビ放映され、『2-0』で破れはしたが、イラクチームの健闘は故国のファンに大きな自信を与えたはずだ。いまなお続く戦火のなかで、たとえ二時間、三時間であっても、イラクの子どもたちが笑顔を取り戻したのだとしたら、これほど喜ばしいことはない。今日は悪い日ではなかった、世界とは悪いことばかりではないんだと思える機会を持つことが、将来、彼らが立ち向かわなければならない困難に際して、夢や希望や自信を持ち続けることにつながるだろう」
(2004年11月2日「愛媛新聞」掲載)
写真:イラク国内の治安情勢悪化でドイツ政府からの勧告で監督を辞任せざるをえなかったシュタンゲだったが、パトラスでの対モロッコ戦から自費でギリシャにやって来た
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