
イラクがアテネ五輪に出場し、決勝トーナメントに進出したのを奇跡的と評する見方が多かったが、ぼくはイラクは決勝トーナメントに勝ち上がるだろうと予想して旅程を組んでいた。
ひとつのチームとして五か月近くずっとトレーニングを続けてきたナショナルチームは、世界中でイラクしかなかったし、戦争で苦しむ故国のファンに夢を与えたいという選手たちの強い意欲を考えれば、彼らが強豪国をなぎ倒して決勝トーナメントに勝ち上がったのは不思議ではなかった。
イラクサッカー協会のフセイン・サイード会長は、「アジア・チャンピオンである日本も決勝トーナメントを突破して、アジア地域のレベルが上がったことを世界に見せる大会にしなければならなかったのだ」
と日本のグループリーグ敗退を残念がった。
ぼくが訪ねた第三戦のモロッコ戦は消化試合。主力組の疲労回復のためにBチーム編成で戦う余裕。中二日で戦う短期間のトーナメントを勝ち上がるために、イラクは最初の二戦を必勝する決意で臨んだ。初戦の難敵ポルトガルを壮絶な殴り合いのようなゲームで「4-2」で蹴落として波に乗った。
日本とイラクチームに選手の技術に大きな隔たりがあったとは思わない。しかし、このゲームを勝つんだという強い意欲で差がついた。パラグアイ、イタリアという強豪との対戦であっても、この二試合で最低勝ち点「4」をもぎ取るという強い意志が日本チームからは感じ取れなかった。
五輪直前にイラク国内の治安悪化のために監督を辞任していたシュタン前監督もドイツからパトラス入り。久しぶりに彼の話を聞きながら、ゲームを観戦。 控え組ではモロッコの猛攻を防ぎきれず、「2-1」で敗れたが、グループ1位抜けは変わらず。
ゲーム後、フセイン・サイードから、次の対戦相手オーストラリアの情報収集を頼まれた。日本は五輪直前にオーストラリアと戦っていたので、ゲームレポートを手配する程度のことならできるだろう。これもなにかの縁。協力を約束する。
(2004年11月9日「愛媛新聞」掲載)
写真:イラク北部クルディスタンのスレイマニヤから2週間半がかりのドライブでギリシャまで応援に駆けつけたサポーター。クルディスタンからトルコへ抜ける国境は開いていたとのこと。
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