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【スポバカ】 フットボール・ハイ 1 「ボン・ボヤージュ」

5月17日 ニヨン(スイス)

 案の定、担当のS女史はニヨンにはいなかった。ポルトガルに出かけたままだという。
 同じ部署のアクレディテーション(取材パス)の担当者の都合がつくまで、一時間近く待たされることになった。

 UEFA(ヨーロッパ・サッカー連盟)の本部は、ジュネーブから電車で二〇分ほどの風光明媚なリゾート地ニヨンにある。
 ロビーから湖上を遊ぶ水鳥の群れが見えた。ジュネーブ湖に降り注ぐまぶしい陽射しがときどきロビーの窓に波紋を映し出す。
 湖畔の斜面に建てられた本部ビルは決して巨大ではない。スウェーデンあたりの建築家の手にでもなるのか、北欧風あるいはアメリカン・モダーン・アーキテクトと呼んでいい類の軽やかな建物だ。日本なら建築雑誌が特集したにちがいない木肌と全面の窓、白い壁を基調にした、大学の研究棟にでもいるような雰囲気がするガラスの館である。

 湖岸の道路を挟んで本部棟の向かいには、サッカーのフル・ピッチなら七、八面は取れそうな手入れの行き届いた緑の芝生が広がり、上半身裸でジョギングを楽しむランナーたちの姿が遠くに見えた。

 UEFAやFIFA(国際サッカー連盟)、IOC(国際オリンピック連盟)といった巨大国際スポーツ組織の本部がスイスを離れることができない理由が、ここに来てみるとなんとなくわかる。
 スイス・フランという浮き沈みのない堅牢な為替、スイス金融界の守秘義務に守られて外部には漏れてこない財務情報、仏、独、英語など国際語が共有されるスイス社会、そういったものが巨大スポーツ・ビジネスをスイスに根付かせたと考えていたのだが、理由はもっと単純なことかもしれない。
 ヨーロッパのほぼ中心にあって、特定のスポーツ大国の影響を受けない中立的な場所でとなると、こんな恵まれた環境の代替地をほかに見つけるのはまず無理だ。

 物価も人件費もほかのヨーロッパ先進国の一・五倍か二倍になるスイスで予算が見積もられれば、イベント・コストもスイス価格になる。だからW杯やオリンピック、UEFAの主催イベントは金のかかるスーパー・イベントになる。まあその贅沢さが格式の違いとなってファンやテレビ局の人気を集めるわけだが。
 今年(2004年)はUEFA創立五〇周年でイベントが目白押しのためか、本部ロビーには来客の暇がない。客も応対するスタッフも話す言葉はドイツ語、フランス語、英語、スペイン語が混在している。

 旧知のCがほかの用談でロビーに現れた。Cとは日韓W杯以来二年ぶりの再会である。成田で買ってきた手土産の日本酒を渡して、ニヨンにやって来た事情を改めて説明した。
 Cは自分が担当ではないけれども、S女史には彼女の誤解を解くよう説得するよと約束してくれた。

 優雅なスポーツ・バカンス気分になるはずだった旅は、出発直前になって大トラブルを抱えていた。
 宿もほぼ手配を終え、「世界一周航空券」という魔法の杖のような航空券も手に入り、準備万端整ったところへ、突然、UEFAの広報部から、OKになっていたぼくの取材申請を却下するというメールが届いたのである。
 オイオイ、いまごろになってどういうことなんだい。さすがに焦った。
 UEFA本部の担当者は何度、電話を入れても、EURO2004の開催地であるポルトガルに出張中だそうでつかまらなかった。
 Cに調べてもらうと、ぼくの事務所所在地がケニヤになっているという。
「ケニヤにいる日本人ジャーナリスト?」
「この人物はインチキなんじゃないの?」
 ということで、最終チェックでぼくの取材申請がはねられたのだそうだ。その余波でチャンピオンズ・リーグのファイナル戦の記者席までキャンセルされてしまった。

 ヨーロッパ選手権やW杯、オリンピックなどの人気イベントになると、記者であると偽って取材パスを手に入れようとする輩が入ってくる。ヨーロッパ選手権であれば、記者枠は出場国が最優先、次にEURO圏内、EURO圏外からの申請は後回しということになる。日本からの取材希望者は多いから、日本からの申請では足切りに遭いそうだという記者やカメラマンが、取材陣を送り込まない発展途上国のメディアの名を使って取材申請を出すという「越境申請」をするケースがこれまでもときどきあったのだという。その国に住んで仕事をしている事実があれば問題にはならないのだが、虚偽申請であった場合は、取材資格を剥奪される。

 ケニヤなんて行ったこともないよ。インターネットのUEFAのページを開いて調べてみると、確かに、ぼくはケニヤに住んでいることになっていた。
 どうしてそんなことになったのか? 申請登録は、その前年、ドミニカ野球の取材で泊まっていたサントドミンゴのホテルからネットを通じて行った。電話回線が途中で何度もつながらなくなって往生したのだが、たぶんあのときに居住国の「JAPAN」の次の行の「KENYA」を間違ってクリックしてしまったのだろう。何度も何度も電話回線が途切れたために、記入事項の確認もしないでクリックしてしまった。

 弁明書をメールとファックスと郵送で送り、リスボンにいるS女史を電話でやっとつかまえたと思ったら、「この忙しいときにポルトガルまで電話をかけてくるなんて」と、彼女はますますおかんむりで、話を聞いてもらうこともできなかった。
 困ったどころの問題じゃない。取材パスを手に入れないと、今回は仕事にも差し支える。マドリッドの鉄道爆破テロ事件以来、大会のセキュリティー・チェックがますます厳重になることが予想されていたから、取材パスがなければ、プレスセンターにも出入りできなくなることが予想された。

 UEFAの上層部にコネがある方に口添えをお願いし、最悪の場合を考えて、まだ一般売りチケットが売れ残っていたカードのチケットをネットで押さえ、人気カードのチケットも観戦に出かける予定の仲間に頼んで、余りチケットを回してもらうことにした。それでも、何試合か、超人気カードはチケットが手に入るかどうか。

 仕方がない。UEFA本部に寄って、担当者と直接会って話をつけるしかないと、ノー・アポでジュネーブに飛んできた。

 S女史の同僚の女性スタッフに事情を説明し、S女史宛てに書いておいた手紙を渡してもらうことにした。
 彼女はありがたいことにチャンピオンズ・リーグの取材パスの担当者だった。チャンピオンズリーグのファイナルの記者席は、その場で彼女がOKにしてくれた。観戦するかどうか迷っていたヨーロッパU21選手権(アテネ五輪ヨーロッパ予選)も、追加で取材申請を受け付けてくれるというのでお願いすることにする。

「世界中から毎日何十本と、電話やファックスが来るのよ。自分のパスはどうなっているかって。だから、あなたのようなケースは却下と判断するしかなかったのだと思う。でも、事情はわかったわ。Sには私からも説明するから、ポルトガルには予定どおりいらっしゃい」
 と、彼女は右手を差し出した。
「ありがとう」

最悪の場合は取りやめにしないといけないかと思っていた旅のスケジュールがジュネーブ湖のまぶしい光に照らされて生き残った。
 旅というのは、仕事だってそうだけど、誤解やトラブルはつきものである。
 トラブルが起きたときに他人任せにしないこと。打開しなけりゃはじまらないことは自分で手をうつこと。いろんな人に世話になっていること。そして、そのことに感謝を忘れないこと。
 人生はあたりまえの教訓に充ち満ちている。

2004/05/17 石川とら



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