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【スポバカ】 フットボール・ハイ 2 FIFA一〇〇周年続き

5月20日 パリ

 FIFA(国際サッカー連盟)創立一〇〇周年総会はルーブル美術館の地下にある国際フォーラム会場ピラミッドで開催された。

 FIFAは百年前の五月二一日、フランス人ロベール・ゲランとアンドレ・エスピルが、オランダの銀行家ウィルヘルム・ヒルシュマンの支援を得て、パリのサン・オノリェ通り(rue Saint HonorU 229 in Paris)に、フランス、ベルギー、デンマーク、オランダ、スペイン、スウェーデン、スイスの各サッカー協会の代表者たちを集めて創立されたのだそうだ。その日に撮影されたFIFAの創立メンバーたちの記念写真がそのまま取材パスになっていて洒落ている。

 世界のサッカー界のVIPが一堂に会するスペシャル・イベントは、ゲーム取材の面白さはないが、こういう機会でもないと会うことができない人と知り合うチャンスなので、出かける価値はある。

 この日も、FIFA理事の小倉純二日本協会副会長から、ずっと連絡が取れなかったイラクサッカー協会のフセイン・サイード会長を紹介していただいた。イラク代表チームは故国を離れてイングランドでトレーニング中とのこと。イングランドのあとフィレンツェで合宿することになるから、それを観に来るようにと招かれる。

 総会会場でカメラを構えていたら、ドイツ協会のマイヤーホーエルダール会長から「よく来た、よく来た」と抱きしめられた。仁川空港で同じように抱きしめられてから二年。彼の体はちょっとしぼんだ。サッカー・バブルが弾けてしまったドイツ・サッカー界の立て直しで苦労してきたんだろうなあ。

 マイヤーホーエルダール会長とは、日韓W杯の前後、FIFAの独占エージェントだったISLや、ISLを引き継いでやはり経営破綻したドイツの巨大メディア財閥キルヒ・グループの取材中に何度か顔を合わせるうちに、口をきくようになった。
マイヤーホーエルダールはキルヒに巨額の公的資金を投入した当事者(バーデン・ヴュルテンブルク州政府の大蔵大臣)だったから、キルヒ財閥の崩壊とともに政界からは引退を余儀なくされたが、2002年大会のドイツチームの奇跡の決勝進出で会長職まで追われることは免れた。

「彼が最初にウェルカム・トゥー・ジャパン・アゲインとドイツの勝利を祝福してくれたんだ」
 と、側近に紹介してくれたから、彼にとってはいまもぼくはツキ目を呼んでくる日本人という印象が残っているのだろう。

 キルヒ・メディアが残した数千億円という巨額の不良債権のなかで、唯一ドイツW杯関連の利権だけがドイツのサッカー・ビジネスに残った金の卵であり、W杯の成功次第で彼にも政界復権の芽もあるというのがぼくの見方。

 パリのあとはしばらくドイツに滞在する予定だと話すと、フランクフルトの協会本部にも寄るようにとのこと。二〇〇六年W杯の事前取材で開催地をいくつか訪ねる予定にしていたので、こちらとしてもありがたい招待。

 一〇〇周年記念表彰では、W杯初の二国共同開催を成功させた日本と韓国の両協会に友好功労賞が贈られた。川淵三郎キャプテンと鄭夢準韓国協会会長に記念メダルが渡され、満場の拍手を受ける。

 共同開催にいたるまでも、大会中もいろいろあったが、2002年日韓W杯は世界のサッカー関係者が拍手で称えてくれたとおり、四年あまりオブザーバーとして取材してきたぼくも、自信を持って素晴らしい大会だったと言い切る自信がある。民間レベルの日韓交流はW杯を契機に大きく拡大した。

 鄭夢準会長も、W杯後の韓国大統領選のゴタゴタも過ぎたせいか、オーラが少し取れた。彼自身も歳をとったということかもしれない。W杯当時のような近寄りがたい雰囲気はなくなり、久しぶりの握手をする。

「フランス 0―0 ブラジル」 パリ・サンドニ

 EURO2004前のフランスの数少ない代表戦ということで、前日にスウェーデンのイェテボリで行われたUEFA杯のファイナルをあきらめて、今回のツアーの初戦に選んだのだが「フランス―ブラジル」戦である。

 FIFAランク1位と2位の注目の対決だが、所詮はFIFA一〇〇周年を祝うエキビジション・マッチだった。両チーム、ブルーと白のラグビーのジャージのような一〇〇年前のコットンのレプリカ・ユニフォームで現れたところで諦めがついたが、ゲーム後、Aの機嫌の悪いこと。あんなユニフォームで出てこられては、せっかくの撮影チャンスも台無しだったようだ。

 ヨーロッパのシーズンが終わるかどうかという時期では代表メンバーが満足にそろわない。フランス・チームにはEURO代表の最終選考から落ちてしまったメンバーが5人も入っており、参考にならず。

 そうはいっても、98年フランスW杯決勝の再現カードである。あの日、ぼくはこの競技場から三〇〇メートルほど離れた公園の野外テレビで、ジダンが二発もコーナーキックからヘッドを決めたショックなゲームを観た。あれから六年。ピッチに立っているのはフランスはジダン、テュラム、アンリの三人。ブラジルもロナウド、カフー、ロベカルの三人だけ。

 六年が経ち、ブラジルはリバウドが抜けてカカが加わり、ロナウド、ロナウジーニョ、カカのゴールデン・トライアングルに左右からロベカルとカフーが加わって自在な攻撃を繰り出す。
 一方のフランスはジダンとピレスを起点に、アンリとトレゼゲの2トップがクロス、スルーに合わせてゴールに突進する。

 しかし、ロナウドが外し、トレゼゲが外し、後半ピレスに代わって入ったウィルトールも外しで、「0―0」のドローのまま終了。ロナウドのワントップに、ロナウジーニョとカカがトップ下に並ぶセレッソンのゲームをはじめて観ることができただけでよしというゲーム。

 フランスはEURO2000を絶頂期とすると、ディフェンスが80%、オフェンスは90%の水準かな。チーム力は確実に落ちた。それでもEUROの開幕までにウィルトールがチームにマッチすることができれば、総合力では優勝候補の最右翼にいるというのがぼくの見方だ。

 ゲームが後わり、FIFA一〇〇周年を祝う豪勢な花火が何十発と打ち上げられる。
 はじめてサンドニにやってきた98年には、ぼくはサッカーの記事なんてサの字も書いたことがなかった。巨大なUFOのようなスタッド・フランセの明かりを遠くからながめていただけだった。あれから六年、流されるまま、転げるようにゲームを追いかけているうちに、記者席に座ってこんな場所にいるのが不思議だ。

2004/05/20 石川とら

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