ごめん。今日の話はぼくの仕事仲間たちへ。
みんなのところにも連絡があるかもしれない。カイロでT兄が亡くなった。
カイロの守本和宏君のレポートを受けながら、この何日かずっと胸騒ぎがあったのはT兄のことだったのかもしれない。
彼のほうがぼくより歳は2つ上だったと思うけど、彼は寄り道してからライターになったので、シャイな新人ライターだったころのT兄のことをかすかにおぼえている。
20年ぶりに記者席で顔を合わせるようになって、サッカーの世界に来たばかりのなんにも知らないぼくを、笑いながら受け入れてくれたのがT兄だった。
ときどきあまりになにも知らないぼくの質問やひと言に目テンになったり、絶句しながらも、アドバイスしてくれたのが彼だった。
50を過ぎると、あと現場で何年、この仕事をできるかなあと逆算しながら仕事をせざるをえない。彼もそうだったと思う。
フリー・ライターなどという身分も稼ぎも浮き草稼業のどうしようもなさは互いに肌身にしみついてわかっているし、いつかどこかで野垂れ死にも覚悟で選んだわが道なので、これまでも何人も先輩や仲間を見送ってきたから、それはそれとあきらめるしかないことなのかもしれないけど。
旅の空で戦友に先立たれるのは、つらい。
後輩諸君に言っておく。サッカーの暦は4年ごと、2年ごとに進んでいく。
いまの君の仕事に甘んじるな。君がもし30だとしたら、あと何回、W杯に立ち会えるかい。
そんなに多くはないぜ。
98年のときより2002年、2002年のときより2006年、2006年のときより2010年と、明確に自分がやりたいこと、やらないといけないことを見据えてほしい。
自分に足りないものはなにか。どうすればそれは補いがつくのか。自分はそのために自己啓発してきたか。時間はあるようでそんなにない。
日本のサッカーファンが知らない世界のサッカーを、自分の目で確かめて、仕入れてきた先駆者のひとりがT兄だった。
仕入れてきたアフリカ・ネーションズ・カップに責任を持つために、体調不良をおしてカイロまで出かけたんだと思う。
ひとりひとりが、自分がやりたいこと、書きたいことをやっていこう。
今日を生きよう。
今年はみんな各国に散って、ダイハードな数か月になるだろう。
でも、ドイツで笑顔で顔を合わせよう。
さぼるな。前進しろ。倒れるな。今日を生きよう。
いまはそれしか言葉がない。
2006/02/08 石川とら
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ジャンルカ“トト”冨樫さんが、アフリカ ネイションズカップを取材していたエジプトで急逝。寂しいなぁ・・・。ジェフを気にかけていてくれて・・ジェフのサッカーを好きでいて
改めて思うことはサッカーへの愛情。ヨーロッパのサッカーだけではなく、ざまざまなサッカーに情熱を注ぎ込んでおられていました。亡くなられた地、エジプトで取材中であったアフ
2月7日にエジプトで急死された富樫洋一氏について今日は書かせてください。実を言う
とらさんもくれぐれも気をつけて。