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【スポバカ2004】World Sports Vacance Deluxe 2004 「Sportiva」 1

1 ヨーロッパ・サッカー編

「今夜くらいは、超攻撃的なポルトガルのオフェンスに対してあなたが立てた戦略と戦術について、おうかがいしてもよろしいでしょうか?」

 知っている限りの敬語表現を並べ立てて、ぼくはオットー・レーハーゲルにまた同じことを聞いた。

 レーハーゲルに同じ質問をするのは3回目になる。最初はEURO2004の開幕戦でギリシャがポルトガルを破った夜。2度目は王者フランスを「1-0」で下した準々決勝のあと。

 たぶん今日もこの「タヌキ親父」は答えないだろうな。
 しかし、ギリシャが優勝するという予想外の結末が起きてしまった以上、それを成し遂げた監督の戦術について本人の言葉を聞かなければならない。

「ギリシャに素晴らしい勝利をもたらしたあなたの戦略について、この特別な日くらい、ほんの少しだけでもぜひ……」
 と、ぼくはわざと芝居がかった大仰な口調でつけくわえた。

 レーハーゲルは答えないだろう。それでも彼がなぜ自らの戦術についていっさい語らないのか、彼が話さない意図を推理する手がかりになりそうな言葉を引き出すために、だれかが道化役を買って出なけりゃならない。それにはぼくが適任だったのだ。

 2度、同じ質問をして討ち死にした変な日本人のプレスが、それでもあえて3度目の質問をする。それにレーハーゲルがどう返すか。そんないきさつを知っている記者仲間から「そうだ、おれたちもそこが聞きたいんだ」という拍手。

 やはりきたかと、レーハーゲルは通訳が質問をドイツ語に訳するのを制して、
「こういう勝利のあとであろうともだね、タクティクスやストラテジーは私のビジネス上の秘密さ。それは話さない。いくら哀願されてもだね」
 と英語で答え、上機嫌の笑顔のまま、おどけた仕草で口にチャックをしながらぼくにウィンクを返した。

 なぜレーハーゲルはこういうサッカーだってあるのだよと話さないのだろう。

 2006年W杯の予選を控えて、EURO制覇で各国からマークされることになるギリシャ・チームの監督としては、なにもしゃべらないのが得策とダンマリを決め込んだということか。
 その晩、ネットの速報レポートにぼくはそう書いたのだが、はたしてそれだけだったのか、ずっと気になっている。

 レーハーゲル自身、自分が選択した、守りに守って1発のカウンターかセットプレーのチャンスに賭けるという「ディフェンシブでしかないサッカー」に、実は満足していないのではないかというのがぼくの疑問だ。

 チェコ戦に勝ったあと、彼はギリシャのディフェンシブなスタイルに皮肉な質問を浴びせた記者にこう答えた。
「もっとも強いチームが勝つと限らないのがサッカーなのだ」と。

 この言葉はもっと力のあるチームなら、こんな守り一辺倒のサッカーなんぞやっちゃあいないよと、言っているようにぼくには聞こえる。
 本意でない戦略と戦術で彼のチームはヨーロッパの新王者となった。
 それはそれでギリシャ・サッカーに新しい歴史を拓いたわけだが、そのサッカーは彼が理想とする「強いサッカー」ではない。もっと攻撃的なサッカー、だれが見ても楽しいサッカーをやりたいと、実はレーハーゲル自身はそんなチームを作り上げたいと望んでいるんじゃないかと、ぼくは深読みしている。

 レーハーゲル、ブリュックナー(チェコ)、スコラーリ(ポルトガル)、アドフォカート(オランダ)といった名だたる「タヌキ親父」型の監督たちとの記者会見という禅問答だか判じ物だかわからないような対話(ブリュックナーもスコラーリも、敗戦後には、短いながら敗因について語ったが)にはほとほと参った。

 それに引き替え、具体的なポイントを指摘して聞きさえすれば、自分の戦術、戦略を理路整然と語ってくれたチャンピオンズ・リーグ優勝監督のモウリーニョ(FCポルト→チェルシー)やラガーベック(スウェーデン)のような新世代の監督たちのありがたかったこと。

 何十人かの監督たちの話を毎日のように連続して聞くというのは実に刺激的な経験だった。

 まあ、ブリュックナーがあいまいにしかしゃべらなかったことをぼくはバロシュから聞いたし、レーハーゲルが答えてくれなかった守りの指示について、主将のザゴラキスに直接、確認した。
監督が答えてくれなかったら、選手をつかまえて聞けばいい。せっかく話を聞くことができるのだから、ゲームの腑に落ちないポイントは直接、当事者に聞くという方針は変えないで済んだ。

 どの監督が気に入ったかって?
 ホセ・モウリーニョがベスト。

 モナコとのチャンピオンズ・リーグ・ファイナルの前日。モウリーニョが30分くらいかけて、ピッチの隅から隅まで芝の状態を自分の目で確かめて歩いているのを見かけた。なにか気がついたことがあるたびに、コーチに一言二言、指示をしてメモを取らせる。

 モウリーニョという監督はチームの勝利のためにはなにごともおろそかにしない人である。

 そういう几帳面な人だから、彼の話は記者会見でも冷静沈着で一言一言が重い。ビッグマッチ特有の精神的なプレッシャーはすべて監督の自分が引き受けるのだという強い意志が伝わってくる。

 FCポルトの選手たちの前日練習が伸びやかでにぎやかだった。練習中に、選手たちの歌声や笑い声が途切れることがなかった。
 モナコの選手たちが笑顔ひとつなく、コーチに統率されて無言でトレーニングしていたのとは対照的だったし、モナコのデシャン監督の談話だけが陽気で快活だったのも、モウリーニョとは正反対だった。

 サッカー漬け、スポーツ漬けの奇妙な長旅を試しています。
 ヨーロッパでサッカーを20数試合、そのままアメリカに飛んでMLBのオールスター戦も含めて10数試合。この原稿を書き上げたら、アテネに飛んで、またサッカーだ野球だ女子マラソンだと飛び跳ねる予定。
 3か月ちょっとの連戦転戦で観戦ゲームはたぶん50試合を超えるのかな。

 地球を一周半しながら、2日に1試合、なにか見てる勘定になる。ゲーム見てるか、移動してるかというとんでもないぜいたくな旅です。

 EURO2004は、オーフェルマルスやラーションにフィーゴと、ぼくが好きなプレーヤーたちの最後の大きなトーナメントになるから、どこかを見に出かけようとは思ってはいたけど。
 その手前に日本代表のイングランド遠征だ、チャンピオンズ・リーグのファイナルだ、FIFA百周年記念「フランス-ブラジル」戦だと、今年はあれも見たい、これも見たいというメニューがずらりとそろってしまった。

 サッカーの場合、こういう短期間に無茶苦茶に圧縮した観戦スケジュールを組むことができるのは、W杯やEURO、アジア杯がある年しかできないので、こういう旅はやってみたくても2年か4年に1回ということになる。

 7月にはMLBにも出かけたかったので、スケジュールを合わせると、日本に一度戻ってくるよりもそのままNYに飛んだほうが楽だし、世界一周航空券とかを使うと航空券も安上がりになる。

 今回は、ぼくはサッカーと野球しか見ませんが、全英や全仏のようなテニスのビッグ・トーナメントを組み込んだり、ツール・ド・フランスに流れたりしても楽しめるでしょう。期間もメニューもフレキシブルな「スポバカ」な旅というのは、いくらでも開発の余地があるはずです。

 それにしても、「観戦欲」というのはいくらでも肥大してしまう恐ろしい欲望ですね。

 当初の予定ではヨーロッパのサッカーは22か23試合くらいのつもりだったのに、29試合も回ってしまった。

 今日は「U-21」戦、マインツでやってますねとか、何日にサンドニでフランスがウクライナとやるんだとか、いまはインターネットでどこにいたって情報を拾えちゃうから、じゃあ、それ行ってみようと後先考えずに反応してしまう。

「じゃあ、それ行ってみよう」って、どこが「じゃあ」なのか、なんにも考えてない。ギネスに挑戦しているわけじゃないんだけどねえ。

 今日はおとなしくテレビで全仏でも見ましょうなんて気分にならない。頭の中がずっと「フットボール・ハイ」な状態になっちゃってる。

 毎日、ゲームを追いかけると、疲れます。ヨレヨレになります。体重はポルトガルにいるあいだに4キロ減。ズボンはブカブカになってしまった。
 EUROは、ついその気になってゲームを見ることができる日はすべて観戦にあててしまったので、開幕から準々決勝の第4戦まで「地獄の16連戦」になってしまった。

 毎日のように開催地へ転々と移動が続きます。ポルトガルに1か月もいて、スタジアムとホテルと駅以外、ほとんど行ってない。観光する時間なんてないんだもの。

これで仕事がなければ最高の「フットボール・ハイ」なんだけどね。

 ゲームが終わって監督の話や選手の話を聞いてホテルに戻ると、夜中の1時か2時。それから5時くらいまで原稿書いてメールで送って。朝8時には次のゲーム開催地へ出かける。電車に乗り遅れるのが恐いから、寝ないで(一度、寝ちゃうと、起きられる自信がない)そのまま起きて待っているわけです。

 気温35度くらいのなかでこれを10試合くらい続けると、人間、倒れますね。ぼくは8試合目で、前後不覚に寝込んでしまいましたし、某スポ紙のS記者は移動のバスのなかで昏倒しちゃった。

 でも、そこを通り過ぎると、最後まで体が保ってしまうから不思議です。昼間は頭も体もスリーピング・モードで、ゲームの1時間前くらいにフル稼働モードに自動切り替えがきくようになる。

 今回、いちばん数を観たEURO2004について最後にまとめておきます。

 フランスがチャンピオンに君臨していた4年の間に(98年のW杯からいえばこの6年で)、フランス代表チームの年齢的な衰えとともに、ヨーロッパ・サッカー全体がますますドングリの背比べ状態になっていたということができるでしょう。

 ギリシャは王者フランスを破り、実力的に見てヨーロッパ1位と目されたチェコも打ち破り、ホスト国のポルトガルに連勝し、同じグループでスペインを蹴落としたわけですから、ギリシャは確かに強かったのです。決してフロックの優勝ではない。

 でも、ギリシャの優勝が決まってレーハーゲル監督が会見室に現れるのを待つ間、ぼくの隣に座ったモスクワから来た記者がこんな話をします。
「君、知っているかい。ギリシャを破ったチームが1チームだけあるんだ。それも2点も取ってね。うちのチームだけだったんだ。チャンピオン・チームより唯一強かったのは」
 彼のジョークのとおり、ギリシャは強かったけど、一時期のフランスのように圧倒的な強さがあったわけではない。

 その隣にいたブリュッセルの記者は、
「オープニングとファイナルが同じカードになったなんて。間の29試合はなんの意味があったんだろうね。最初からこの2チームで2試合やってチャンピオンを決めりゃあ話が早かったのに」
 と、これにも大笑い。

 グループ・リーグの「フランス-イングランド」戦のロスタイムの逆転劇を筆頭に、「デンマーク-スウェーデン」戦の両者にハッピーな「2-2」のドロー・ゲーム、準々決勝の「ポルトガル-イングランド」の延長PK戦など、面白いゲームはあったけど、手に汗握るような死闘は意外と少なかったというのがぼくの印象。

 チェコが「2-0」から逆転した「オランダ-チェコ」戦、スウェーデンが6人攻撃でイタリアにゲーム終盤に追いついた「イタリア-スウェーデン」戦、準決勝延長シルバー・ゴールで決着した「チェコ-ギリシャ」戦の3試合くらいかな、記憶に残る白熱したゲームは。

 前回のEURO2000に比べると、今回のEUROは小粒なトーナメントだったという印象がぬぐえない。
 ドングリの背比べの争いであれば、ディフェンシブ・スタイルのサッカーでも王者に就くことができたというギリシャの奇跡は、ヨーロッパ・サッカーがこの数年、停滞していたという事実を証明していたように思います。

2004/08/03 執筆 「Sportiva」2004年10月号用 石川とら
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