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W杯ドイツ大会 74年西ドイツ優勝イレブン・インタビュー


 74年のW杯西ドイツ大会のファイナルを見たのはどこでだったか。

 31年も昔の話である。
 あの年のヨーロッパは雨の多い冷たい夏だった。
 ブカレストの大学食堂で映りの悪いモノクロのテレビで見たように思うのだが、ミューラーが決めた決勝ゴールを実はよく憶えていない。キックオフ直後のオランダのPK、西ドイツもPKで返した不思議な試合だったという印象のほうが強い。

 74年大会の決勝戦は、衛星中継で日本ではじめて生放送されたW杯の試合だった。今回のポートレートを撮影した赤木真二は、高校のサッカー部のチームメート一緒に真夜中の中継を見たそうだ。ベッケンバウアー率いる西ドイツとヨハン・クライフを擁する「トータル・フットボール」のオランダの戦いに、日本のオールドサッカーファンは魅了された。

 当時のW杯は試合数もトーナメント方式も現在のW杯本大会と違っていた。本大会参加国は16チーム。4組に分かれて1次リーグを争い、各組の上位2チームずつが2次リーグに進出した。

 2次リーグに勝ち上がったのは
 ◆A組
  東ドイツ(1組1位)
  オランダ(3組1位)
  ブラジル(2組2位)
  アルゼンチン(4組2位)
 ◆B組
  ユーゴスラビア(2組1位)
  ポーランド(4組1位)
  西ドイツ(1組2位)
  スウェーデン(3組2位)

 2次リーグのあとはトーナメント方式ではなく、AB両組の1位チームが決勝を戦った。
 オランダと西ドイツがともに2次リーグを3連勝で勝ち上がり、決勝で顔を合わせることになる。

       *
 オランダは1次リーグ、2次リーグとも危なげない勝ち方で決勝に勝ち進んだ。
一方、西ドイツは自国開催の今大会こそ優勝と期待されていたが、1次リーグの第3戦東ドイツ戦で、まさかの敗戦を喫していた。

 ただし、グループ2位となったおかげで、西ドイツは2次リーグで、オランダ、ブラジルという最強のライバルと戦わないですむことになる。

「結果的にはそうなったが、シェーン監督は東ドイツのドレスデンから逃れてきた人だったから、監督もチームも全員が東ドイツだけには負けるわけにはいかないという気持ちだった。あのハンブルグの夜は打ちのめされた気分だった。ロッカールームでも、お前らなにやってんだって怒鳴り合いになる始末でね」
 と語ったのはヘーネス。

 2次リーグまでの1週間の休みに、シェーン監督はベッケンバウアー主将の進言も入れて、先発メンバーを変えるという荒療治を決断する。

 新しいメンバーとして、右サイドにボンホフ、左サイドにヘルツェンバインの若手ウィングを起用。ゲーム・メークはギュンター・ネッツァーでなく、オヴェラート一本でいく。ディフェンス陣もベッケンバウアー、シュワルツェンベック、ブライトナー、ヘーネスの気心の知れたバイエルン組のセットを中心に臨むことになった。

「敗戦でチームの目が覚めた。次のユーゴ戦でいい試合をするしかなかったんだ。新しいチームでユーゴに2-0で勝ち、これでいけるという大きな自信を取り戻すことができた」
 とオヴェラート。

 次回2006年W杯でも、限られた試合数のなかで、大きく成長するチームが生まれてくるだろう。W杯の開幕までにそういう「伸びしろ」を見つけてテストすることができればいちばんいいのだが、大会中のひとつの敗戦をきっかけに激変した74年大会の西ドイツ・チームのようなケースもあることは知っておいてもいいだろう。

       *

 7月7日、ミュンヘン・オリンピックスタジアム。西ドイツ-オランダ戦。

 オランダのキックオフではじまったゲームは、西ドイツがボールにふれることもできないうちに、クライフがフォクツのマークを振り切って中央をドリブルで突破。ペナルティ・エリアに入ったところでヘーネスのタックルがクライフの足にかかり、PK。
 ニースケンスが豪快にゴール中央にPKを決め、オランダ「1-0」。

「なにがなんだかわからないうちに先制されたんだ。オランダはなんて素敵なサッカーをするんだろうってしばらくみとれてしまったよね。あんなサッカーをするチームにはとてもかなわないと思った」
 と、ボンホフの話は正直だった。

 ああ、この試合はオランダのものになってしまうと、テレビの前の多くのファンも感じたはずだ。
 オランダは1次リーグ、2次リーグ6試合を通じて、14得点、クリアミスのオウン・ゴールによる1失点のみという攻撃にも、守備にもバランスのよさを発揮したチームだった。

「オランダが、追加点を狙って果敢に攻めてきていたら、防ぎきれなかっただろうね。先取点でオランダが攻撃の手を緩めてくれたのがわれわれには幸いだった」
 と、ディフェンスの立場から解説したのはシュワァルツェンベック。

 フォクツがマンツーマンでオランダの核クライフを追い続けた。
 前半24分、左サイドからドリブルで持ち上がったヘルツェンバインがペナルティ・エリアでヤンセン(後に広島監督)に足をかけられ、今度はドイツにPKが与えられた。ヘルツェンバインのシミュレーションではなかったかと後日、物議をかもすことになるPK判定である。

 ヘルツェンバインは、
「30年、この質問ばっかりだ。日本からわざわざ同じことを聞きにくるなんてご苦労なことだけど、あれは間違いなくファウルだったよ」
 と、笑いながらダイビング説を否定した。真偽は不明である。

 このPKをブライトナーがあっさり決めて「1-1」の同点。

 前半43分、右サイドをドリブルで上がるグラボウスキーをボンホフがオーバーラップ。ボンホフがドリブルで持ち込み、中央のミューラーにセンタリング。ミューラーのトラップは後ろにこぼれたが、振り向きざまにシュート。ボールはディフェンダーの股の間を抜けて、ゴールを割った。

「サッカー人生で最高のゴール。これですべての重荷から解放されると思ったね。だからあの試合を最後に代表からは引退したんだ」
 ミューラーのこの2点目が決勝点となった。

「クリンスマンに同じことができなくはない。プレッシャーに負けさえしなければね。勝つための準備の時間はまだ十分ある」
 というのが74年優勝イレブン全員の総意だ。
自国開催で勝った経験を持つドイツ、来年は大化けする可能性があるのかなあ。

2005/09/30執筆「Sportiva」2005年12月号用 石川とら

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