ワールドカップドイツ大会は、大きな事故事件なども起きることなく、イタリアの4回目の優勝で幕を閉じた。
大会直前まで不安視されていたホスト・チーム、ドイツの快進撃もあって、ドイツ国内ではワールドカップは空前の盛り上がりを見せた。
ドイツの試合でなくても、どのスタジアムでも、また電車のなかでも、ドイツのサポーターたちが歌う「♪ベルリンへ行こう!」の歓声が聞こえてきた(「ベルリンへ行こう!」は、もともと、毎年ベルリンで行われているドイツ杯の決勝に進もうというドイツのサポーター・ソング)。
ムスレム原理主義によるテロや、ネオ・ナチズムの示威活動、フーリガン騒動なども、「ドイツ-ポーランド」戦の前に両国サポーター間で小競り合いがあっただけ。大会期間中にドイツを訪れた海外からの観戦客は170万人を超えると推定されており、ワールドカップ開催で新しい統合ドイツを国際社会に見てもらいたいというドイツ政府の目論見は十分、達成できた。
大会直前までの気温15度前後の異常冷夏から、大会開幕と同時に一気に35度を超える猛暑となり、各国チーム、サポーター、プレスとも、暑さとの戦いを強いられたワールドカップとなった。
日本チームのように、午後3時キックオフの試合を2試合戦ったようなチームには、コンディション調整で大きなハンディキャップを強いられることになった(ドイツ、ブラジルなどはグループリーグで午後3時キックオフの試合はなかった)。第2戦、ドイツでももっとも高温になることがわかっていたニュルンベルクで、午後3時のキックオフのゲームとなったのは、視聴率を上げたかった日本のテレビ局の意向によるもの。
「ニッポン! ニッポン!」とブームを盛り上げる一方で、日本代表がより苦労する試合時間を選択させているのが、テレビ・マネーであることを日本のファンも承知しておいたほうがよい。
■「ジーコ・ジャパン」惨敗グループFで2位突破、ベスト16進出が目標だった日本チームは、第1戦オーストラリア戦「3-1」、第2戦クロアチア戦「0-0」、第3戦ブラジル戦「4-1」で、勝ち点「1」の4位の惨敗に終わった。
第1戦のオーストラリア戦で後半80分過ぎまで「1-0」でリードしていた試合を、わずか10分で3ゴールを失って大敗したのが致命傷になった。
敗因としては、チームのコンディション調整の失敗、ジーコ監督の交代采配ミスが挙げられるが、経験豊富なオーストラリアのヒディンク監督のマネージメント手腕に敗れたといっていいだろう。オーストラリアはクロアチアとも引き分け、32年ぶりの出場で、ベスト16に進出。優勝国イタリアと試合終了10数秒前まで「0-0」で争う死闘を繰り広げた。
オーストラリアは次回2010年大会からはアジア予選に入るので、日本にとっては大きなライバルとなる可能性が大。
日本惨敗の余波は2つ。
「ジーコ・ジャパン」の実質的なチームリーダーであった中田英寿が現役引退を表明したこと。まだ2年あるいは4年は、代表チームを引っ張ってもらいたかった中田英の突然の引退は、次期代表チームの戦力低下になるのは確実。また、中田英の海外での経験を代表チームに直接、伝えることができなくなったこと。
もうひとつは、イビチャ・オシムの代表監督招請。
ジーコに代わる次期監督に、千葉のオシム監督を招請することを川淵三郎日本サッカー協会会長(キャプテン)がドイツで示唆。
来季の代表戦のスケジュールを考えると、新監督の選考招請は急がなければならない。しかし、ジーコ・ジャパンがなぜ惨敗したのか、客観的な分析や反省は後回しにして、招請交渉途中での唐突な発表は、ファンの協会首脳への責任追求をかわす意図的なリークと受け止められてもやむをえないだろう。
サッカーの日本代表戦が視聴率50%を超える国民的関心事となり、また、その結果、協会が膨大な収益を揚げることが可能となっている以上、協会は、ファンの疑問に応える努力をしなければならない。「ジーコ・ジャパン」がなぜ勝ち点「1」しか挙げられなかったのかを、ゲーム分析だけでなく、チーム編成、コンディショニング、協会のバックアップ体制など、さまざまな側面から客観的に見直して、次期代表チームの強化にフィードバックすることが望まれる。
惨敗も経験である。手痛い経験を直視しなければ、次の進歩はない。
7月12日。ピッツバーグより。
携帯imidas 2006W杯レポート 28 石川保昌
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