ツーロンからユーロ高を逃れるため、ユーロ圏外に出る。
予想していたことではあるけども、この8年、世界通貨はユーロの一人勝ちだ。
ユーロが流通するようになったのは、EURO2000と同時だった。EURO2000ではじめてネット上で行われたチケット世界同時販売では、まだ市場流通していなかった新通貨ユーロが採用された。たしか、このときはチケットの第1次販売段階では「1ユーロ=96円か97円」だった記憶がある。
ポルトガルでのEURO2004時に、「1ユーロ=130円台後半」に、2006年ドイツW杯時に「1ユーロ=150円台」、そして、いまや「1ユーロ=160円台後半」。
イングリッシュ・ポンドとスイス・フランは、ユーロ高騰に引っ張られて高め維持。
米ドルと円が軒を並べてボロボロのズタズタ。
輸出産業保護の名目で、十年一日、「円安」誘導を続けてきた日本政府の通貨政策の結果がこれである。「円安」のうえに「原油暴騰」。日本の国民はどうしたらいいの?
日本が保有していたはずの対外資産(たとえばドル立て公債)など、(いま正確に何十兆円あるのか調べられないが)、もし10年前に10兆円分のドル立て公債があったとして、ドルの価値も円と同様に下落したから、10年前の10兆円は6兆円か7兆円の価値しかないということになってしまっているのではなかろうか。
巧みにほかの金融債権やユーロ立て債権にヘッジしていたというような、手堅い運用をしていた金融機関があったという話をニュースで見た記憶もないから、日本の対外資産が「目太り」などしたはずはない。
昨今のサブプライム債権の処理などを見れば、「目減り」幅をどの程度のラインで止めることができるかどうかという負け戦の処理がいまも続いているということだろう。
どの旅のときだってゼイタクをした記憶はないが、EURO2004のときに泊まることができた1泊50ユーロ(当時は7000円弱)のホテルが、いまやほぼ1泊9000円。三度三度の食事代も同様に、日本人とアメリカ人客のサイフからユーロ札を搾り取っていく。1か月も2か月も長旅をつづけていれば、ホテル代だけでパンクだね。苦笑するしかない。
初夏のヨーロッパといえば、どこに行ってもアメリカからの団体観光客が押し寄せていたものだが、この夏は、アメリカからの観光客が少ない。
アメリカ人に代わって、札びらを切っているのは南フランスでは、ロシアの新興資本家たちだった。ツーロンの海辺のカフェも、ニースの空港も、ロシア人観光客があふれている。
ロシアの次に目立つのは、インドと中国からの団体客。資源大国、ロシア、インド、中国、侮れずなのだ。
こんな時代、個人でできる自己防衛策は、ホテルの質を落とす。もう落とせないというところまで落とす。駅前旅籠か、昼下がりの情事用のあいまい宿かと思うホテルで結構。
できればキッチンを使わせてくれそうなところがいい。
食事は中華レストランからご飯や焼きそばをテイクアウト。これなら3ユーロか4ユーロ。副菜は自分で調理する。ツーロンでは、自分で釣ってきた魚料理やサラダで、最低予算でも楽しむことができた。
6月5日。ベルンにて。石川とら
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