飛行訓練翼があれば、鳥はだれでも飛べるのか?
太りすぎたカラスはニワトリと同じだ。飛べない。
飛ぶことができるようになるよう、トレーニングが必要だった。
飛雄馬を鍛え上げた一徹のように、「虎の穴」のように鬼の飛行訓練がはじまった。
「くじけるな。ヤタ!飛べ、飛ぶんだ。ヤタ!」 # 悪ガラス小弥太
ホーム・センターで溶接作業用の肘まである革手袋を買ってきた。
素手でヤタにとまられると、とがった爪で引っ掻かれるので、痛くてたまらなかった。
ヤタの飛行訓練が始まったのは、まだ半袖の時期だったはずなので、うちに来てから3か月後くらい、
9月だったのではないか。
飼育日記をつけなかったのが悔やまれる。記憶を頼りに書いている。
いつまでもヤタに居座られるということは、ぼくにとっても、ヨメさんにとっても、「暗黙の恐怖」になっていた。
カラスは巣立つと、若ガラスの群れに入っていき、2年か3年のうちに相手を見つけて、カップルとなり、
群れを離れて、自分たちの縄張りを持つ「縄張りガラス」となる。
いろんな本を読んだので、カラスの自立については、ある程度、知識を持つようになっていた。
せめて、若ガラスの群れに入れるようになるために、とにかく飛行能力をつけてもらわないといけない。
部屋の中を飛んだところで3mか4mしかないから、外で飛行訓練をするしかないのだが。
カラスは嫌われてるからね。公園に連れていって飛行訓練をするというわけにはいかないのだ。
向こう三軒両隣には、「申し訳ないけど、事情があって、カラスをしばらく預からないといけなくなってしまって。
お騒がせすることがあるかもしれませんが…」と、最初に挨拶はしたけれど。
結局、家の前の路地で飛行訓練をすることになった。
午前中は通勤やお出かけの方が通るので、午後か夕方、通行する人が少ない時間帯にやることにする。
ヤタを肩に載せて、表へ出る。小太兄や猫たちも一緒に外に出る。
お隣のお婆ちゃま、「まあ、まあ、石川さんちは動物園だからねえ」。
キャッチボールの要領である。ヨメさんまたは娘が最初は4mほど離れたところからヤタを軽く投げてやる。
受け取るぼくのほうが「ヤタ、ヤタ」と名前を呼びながら、右手を止まり木のように伸ばして受け止めてやる。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、距離を開けて、最初のうちは10mくらいまで。
なんとなく、鷹狩りのマタギにでもなった気分。
夕方、暗くなりはじめると、声を出して呼んでやっているのに、ヤタ、腕の止まり木がわからず、ブロック塀に激突。
夕暮れになった途端、カラスは鳥目になる。
夕暮れ時に飛ぶカラスがたまにいるけど、実際は、ほとんど目が見えてないはずだ。
中野のガード下で、とまるはずだった棒が見えなくて、そのまま道路に落ちてきたカラスを見た。
アッと思ったときには、車にひかれて「パンッ」と風船が割れたような音がした。
飛行訓練中にヤタを抱くと、心臓がドックン、ドックン。脈拍が猛烈に上がっている。
鳥にとって、飛ぶことは当たり前のことだろうとばかり考えていたのだが、飛んだことのない距離を飛ぶことは、
子ガラスにとっては恐怖をともなう新しい体験だったということだろうか。
それでも、距離をちょっとずつ延ばしていって、なんとか20mくらいは飛べるところまでなった。……→つづく。
■追記(FaceBook連載のときのコメント)
大重:ニヤニヤしながら読みました。当時の石川家の様子が目に浮かびます。一度泊めてもらったお家とか、小さかった娘さんとか思い出して懐かしかったです。
私も毎年窓からカラスやトビの子育てを見ていますが、ヒナは巣がある木の中を枝から枝に移動するのは自分でやるようになるのですが、隣の木に移動するのは勇気がいるようで、親がエサをダシに辛抱強く誘わないとダメみたいです。
飛べたら飛べたで、エサをねだって親鳥を追いかけ回すようになるし、親は気が休まる時がない感じですね。
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