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戦後60年

二〇年ばかり前、昭和が幕を閉じる前後のことだ。明治末から昭和二〇年代にかけて刊行された新聞や雑誌を毎日、読み通さなければならない時期があった。
『昭和二万日の全記録』という昭和史の全集の調査で、一メーター、二メーターと積み上げた古雑誌の山の間で寝て起き暮らす日々が七年あまり続いた。

その時代に生きていた人が当時の社会事象をどう受けとめていたのか、後の時代になっての解釈よりも、その時点の記録を優先して再点検してみようというあてどのない作業だった。
戦争や政治、経済の変動はもちろん、社会事件から文化、風俗まで、気になる記事を見つけては、生きている当事者を捜し出して聞き取りをした。
当事は大学や研究機関も戦前の古雑誌など研究対象としていなかった時期で、神田の古本屋街を歩けば、全巻揃いの珍しい雑誌も一束いくらで見つけることができた。

節目の六〇年ということで、新聞もテレビも「戦後六〇年」特集が目白押しである。被爆六〇年、空襲から六〇年、引揚げから六〇年、敗戦から六〇年。

昭和二〇年に突然、歴史が変わったわけではない。歴史というのは流れ続いているもので、日本が戦災を受け、敗戦にいたるまでには、それなりの事情や理由がある。「戦後六〇年」という区切りの付け方には、「まあ、そこまでの話は置いといて」という御都合主義を感じてしまう。

戦後六〇年の今年は日露戦争から一〇〇年でもある。日露戦争から昭和二〇年の敗戦までが四〇年。そのあとの時間のほうが二〇年も長くなった。

日露戦争の話など、あまりに遠い日のできごとのように思われるかも知れないが、ぼくが小学校の三、四年生のころまで(昭和三十七、八年前後)、日露戦争に出征したじいさんたちが生きていた。彼らが従軍したのは善通寺の十一師団だったから、二〇三高地攻めの話をぼくは彼らから直接、聞いている。そんなに遠い昔の話ではないのだ。

日露戦争という国民意識の高揚からわずか四〇年で、日本人だけで三〇〇万人近い犠牲者を出し、国を敗戦に追い込んだ異様な全体主義国家が存在したことを、若い方にはちゃんと知っておいてもらいたい。

(2005年8月9日「愛媛新聞」掲載)
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