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「加計疑獄」事件のバックグラウンド

保守的精神風土はどうやって作られたか?
 「加計疑獄」事件に見る愛媛県の保守性。


2018.4.17

少し長くなりますが――。

加計獣医学部を誘致した愛媛県や今治市の保守的風土が
いつ出来上がってしまったかを考えています。

私も愛媛出身ですが。愛媛というところは、昭和30年代の「勤評反対闘争」で、
日教組が「根絶やし」に近い弾圧を受けた県です。
「ああ、そういう考え方もあるんだな」という風に、
自分とは違う考え方を持つ他者とも共存する発想を生まない保守的な風土は、
昭和30年代以降に順次、形成されていったように思います。

それ以前の愛媛には、大正期からの農民運動の名残を引き継いだ闘士もいました。
国政選挙でも、中選挙区制度があった時代は、定員3人区であれば、
「自民2、社会か民社1」という選挙結果が多かった。
それが、小選挙区制度の導入以後、「自民1」になってしまうんですね。
市町村の首長選挙も、保守系無所属で決まりです。
保守化が順次、進行していくのが、明治大正世代が引退していった昭和後半、
保守でいることが当たり前という勘違いが起きるのが平成になってからという感じでしょうか。

さて、加計獣医学部を誘致した元愛媛県知事の加戸守行ですが。
加戸は1934年満州大連に生まれ、八幡浜高校から東大法学部を経て
1957年に文部省に入省したエリートです。
前年56年に全国で最初に「勤評闘争」が始まったのが愛媛県で、
それが全国に広がっていくわけですが、その最中に文部官僚になったのが加戸です。

加戸はリクルート事件に連座して退官。文部省官房長でしたが、省内幹部に
未公開株を割り振った当事者だったかな。
その後、関連の財団法人に天下りして、99年の知事選に担ぎ出されて出馬。
2010年まで県知事を務めます。県知事を辞めたあとの肩書きを見ると、
「日本会議愛媛県支部相談役(愛媛県支部のトップ)」、安倍内閣の「教育再生会議」委員、
「美しい日本の憲法をつくる愛媛県民の会」実行委員長などとあります。

加戸県政のなかで、全国的に注目されるのは、2001年の県立学校への教科書採択で、
扶桑社版の歴史教科書(いわゆる「つくる会側の教科書」)を全国に先駆けて採用したことです。
ついでに紹介すると、加計獣医学部を誘致した今治市長の菅良二は、
今治市長になる前(広域合併前)は、大三島町長、県議でしたが、加戸知事に連動して、
大三島町立中学に「つくる会側教科書」を採択させ、今治市長に就任後は、
今治市立中学校に同様の採択をしています。
菅は1943年生まれ。加戸より10年歳下ということになります。

ジャーナリストとして仕事をしていた時期、地元紙に、加戸県政の「つくる会教科書」採択について、
批判的な連載を書いたところ、愛媛の右寄りの方々から、反論やらカミソリ入りの封書などが
何通も送りつけられました。
「日本会議」の所属だかどうだか、その頃は確認もしませんでしたが、
その新聞社には街宣車が押しかけたり、担当部署には夜中でもクレームの電話が
たびたびかかってきたらしい。
まるで「ヤクザ」からの脅かしのような電話が夜中にまでかかってくれば、
担当編集者はおびえます。
それを考えると、その連載は止めざるをえませんでした。

ここで私が述べたいのは、「右寄りの体質」というのは、
その社会がそれを受け入れていく過程で、いくつかの変遷を経ているということです。
「勤評闘争弾圧」という形で、共産党員でなくとも、自由主義的な発想を持つ教員を
20数年にわたって疎外してきたということが、
その後の地域社会に閉塞感をもたらしたのではないかというのが
私の受け取り方です。
「反対」の手を挙げる者は根絶やしにする。
20年経てば、「反対者」はいなくなります。

そういう精神風土に、時代遅れの(リクルート事件で失脚したはずの)
「右寄り元エリート官僚」がどういうわけだか知事に選ばれてしまったという偶然が、
ますます愛媛の右傾化を招いてしまった。

そして、知事職を離れてしまったのにかかわらず(加戸の任期は2010年まで)、
置き土産として、加計獣医学部の誘致(愛媛県が32億円助成金を負担、
今治市が助成金64億円を負担し、今治市の37億円の土地を無償譲渡)を続けたわけです。

加戸元知事と今治市長がやったことというのは、
短い言葉でいえば、「教育ブローカー」の仕事でした。
「獣医学部」を新設して、そちらで稼ぎたい加計学園の加計理事長。
安倍首相が30年来の「腹心の友」と呼び(実際は親族とも聞きますが)、
安倍首相自身に、あるいは安倍首相の取り巻きに政治資金を用立てていた教育産業の経営者。
安倍首相が「愛媛県文書(備忘録)」にある通り、加計理事長から請託を受けていたかどうかは
今後の国会論戦で明らかになるでしょうが、
加計理事長と地元の願望を「首相案件」として実現させたのが安倍首相。

関係を整理すると――。
「獣医学部を新設したい」加計理事長。
「土地も無償提供しますよ」と誘致した今治市長と、
「教育再生会議」で「獣医学部の新設が必要です」と論陣を張り、
愛媛県の助成金を手配りした元県知事。
自分が決裁者である「国家戦略特区」扱いで便宜を図った首相。
その首相は日常的に加計理事長から政治資金の面倒を見てもらっていた。
そして、これらのメンバーがみな「日本会議」に深く関わっているということです。

そして、それは偶然ではないんですね。
首相から大臣から国会議員から元知事から、国のなんとか委員、
なんとか諮問会議委員といった大物から、
なにかあれば、街宣車を出したり、カミソリ封筒を送りつけたり、
夜中に脅かしの電話をかけてきたり、
ネットで暴言工作を行ったりという実働部隊も抱えていて、
その実働部隊に資金を用立てするスポンサーもついているという
「変な団体だねえ?」と、首をかしげるしかない団体ですね。

そういう関係が表沙汰になってしまったのが、
愛媛県今治市の加計獣医学部の今回の疑獄問題であって、
首相の請託収賄疑惑事件だけで片付けてはダメ。
その裏にある保守化がどのように進んでしまったのかについて、
ちゃんと見ておかないといけないかな。

そして、このような保守化の進行は愛媛だけではないよと思う次第です。



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