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映画批評 韓国映画「タクシー運転手」

タクシー運転手の立場から観た
韓国映画「タクシー運転手」


2018.5.20



まず、韓国映画「タクシー運転手――約束は海を越えて」が公開ロングラン決定とのことです。
まだ、ご覧になってない方、出かけてみてください。
面白い。泣けます。笑えます。
韓国で、昨年(2017年)観客動員トップ、1200万人が観た映画とのこと。
韓国の人口は5125万人だそうですから、18歳以上の人口から考えると、3人に1人は
この映画を観たという勘定になるでしょうか。
いまの韓国の「国民映画」だと言っていいでしょう。

実は、3月まで東京で8年間、タクシーに乗っていました。
そんなわけで、「タクシー」とか「タクシー運転手」とかいう言葉を見ると、頭が反応してしまいます。
Facebookで、「タクシー運転手」という文字を見かけたものだから、ついコメントしたら、
「韓国民衆史」の専門家(東大の真鍋祐子教授)の投稿でした。
真鍋先生から、この映画は1980年の光州事件を舞台にした映画で、
あのとき、光州ではタクシーの運転手たちが大活躍したんですよという話をチャットで教わり、
ぜひ、観てくださいとすすめられました。
そんなわけで、初めての韓流映画との対面でもありました。

筆者は1953年の生まれですので、韓国で光州事件があったという記憶はかすかにあります。
パク・チョンヒ大統領が暗殺された後、チョン・ドファン、ノ・テウら軍幹部によるクーデターで軍政が敷かれ、
民主化を望む学生や市民たちと光州市でぶつかり、軍が投入されて大勢の学生や市民が殺された。
――という程度の事件の表面だけの記憶でした。
2002年の日韓W杯のときに、韓国にも光州にも行きましたが、光州事件が韓国の長い民主化闘争の
最初の大きな発火点であったことを、この映画を観てあらためて教わることになります。

そんな訳で、政治映画なんだという先入観を持って新宿の映画館に出かけたわけです。

ところが、「タクシー運転手」のオープニングは、政治ドラマではなくて、
実に明るいロード・ムービーなんですね。
印象でいうと、「幸せの黄色いハンカチ」(1977年松竹・山田洋次監督)に近いかな。
当時のヒット曲なんでしょう。軽いフォークロックの曲(*注1)に合わせて、
ソウルのタクシー運転手キム・マンソプの一日が始まります。

*注1 筆者は韓国の歌謡曲についてまったく知らないので、真鍋祐子先生に、
この主題歌についてあらためてお聞きしました。この出だしの曲(主題歌)は、
チョウ・ヨンピルの79年の大ヒット曲「おかっぱ頭」という曲だそうです。
チョウ・ヨンピルというと、韓国最大の国民的演歌歌手というイメージを持っていたのですが、
元々はフォークロック出身だったんですね。

「おかっぱ頭」という軽快な曲に合わせて、キム・マンソプのタクシーはソウルの街に向かいます。
――この導入部で、観客は1980年の5月にタイムスリップします。

キム・マンソプは、しがない個人タクシーの運転手です。
タクシー会社に雇われている運転手ほど貧しくはないかもしれないけど、借金を抱えていて、
どうやって返済するかで悩んでいる小市民です。
学生たちの「軍政反対民主化要求」デモにぶつかっても、
「おぼっちゃん育ちの甘ったれたデモ学生どもめ」という反応をしてしまう保守派でした。

そんなマンソプが、ドイツ人ジャーナリストのペーターを乗せて光州に向かうことになります。
ソウルと光州の距離は270kmくらいといいますから、日帰りできない距離ではない。
ただ、高速道路が整備されていなかった1980年前後は、結構、大変な長距離ドライブだったと思います。

タクシー運転手という仕事をしていた立場で言いますと、
超長距離のお客様をお乗せするというのは、運転手冥利に尽きる幸運な仕事です。
私自身の体験では、羽田空港から名古屋まで深夜にお客様をお乗せしたことがありますが
(確か、12万円くらいいただいた)、そのお客様の料金だけで、2日分近い売り上げがありました。

ただし、そういう幸運は本当にツキで巡ってくる仕事であって、
他のタクシーに予約が入っている仕事を横取りしたりすると、業界の仁義に外れた行為ですので、
バレてしまったら、運転手仲間から総スカンを食うことになります。それは、韓国でも同じでしょう。
でも、借金を返すために、そういうことも平気でしてしまうダメ男がマンソプでした。

マンソプとペーターのやり取りのなかで、マンソプのそれまでの人生をいろいろ想像することができます。
「サウジでダンプに乗っていたから英語もOK」。
70年台、80年台、韓国の男たちは、海外に出稼ぎに出かけた経験者が、結構、いました。
それは、日本人だってそうだったのですよ(筆者も、70年台半ばに、日本のゼネコンの仕事で、
北アフリカに2年、出稼ぎに出た経験があります。当時、中東地域の土木プロジェクトでは、
韓国のゼネコンと競合するケースがよくありました)。

スーツを着てネクタイを締めて冷房の効いたオフィスで勤務する駐在員の仕事と、
現場サイトで砂や埃にまみれて、汗みずくになって仕事をするブルーカラーの出稼ぎ労働者の仕事は
また違うのです。彼らの過酷な労働が韓国経済の急激な発展の原資を作り出したと私は考えています。
マンソプの出稼ぎ期間は2年か3年だったでしょう。
その稼ぎを病気で亡くなった妻は、個人タクシーを開業する資金に取っておいてくれた。

また、マンソプは、出稼ぎに出る前、結婚する以前、兵役も経験しています。
徴兵制のない日本人には、韓国の男たちの義務である「兵役」について、想像するのが
むずかしいかもしれません。
マンソプは兵役の経験がありますから、軍や警察の検問に遭うと、サッと敬礼して、
「私は従順な国家への奉仕者でありますよ」と表明します。
「長いものには巻かれろ」という現実的な対応を軍隊経験で覚えています。
彼は国家権力を恐れる小市民であり、体制派に属していました。

だから、光州に着いて、デモ隊を満載したダンプにペーターがカメラを抱えて乗り込んだ後、
「俺は反体制派じゃないから」と、マンソプは彼を置いて逃げ出すのです。
「公権力」から免許や乗務員証を得ているタクシー運転手という職業は、官憲に弱い。
これは日本でも韓国でも同じです。光州のタクシー運転手たちが、市民側について、
死傷者救援に向かったということ自体に驚きました。

一度は逃げ出したマンソプも、タクシーを求める老婆を見捨てることができません。
年長者を敬う韓国社会の当たり前の道徳、良心から、老婆を病院まで連れて行き、
そこでペーターに再会します。

日本のタクシーの運転手でも、自分の車が「空車」であれば、困っている人を見たら、
また、手が上がったら、車を止めます。
それを見捨てて走る(乗車拒否をする)運転手をたまに見ることがありますが、
基本的に流しで仕事をしているタクシー運転手の90%は、乗車拒否をしません。
長距離のお客を狙って、道路の左端に行列を作っているような個人タクシーのなかには、
手を上げたお客様を無視したり、乗ろうとすると、舌打ちをして嫌味を言ったりするという、
嫌な運転手がいるのも事実です。「乗車拒否」というのは、タクシー運転手がしてはいけない、
いちばん大きな業界ルールです。

それから、タクシーの仕事というのは、お客様を目的地まで無事、連れて行くのが仕事です。
ペーターを乗せた時点で、光州まで乗せていくので終わりなのか、
光州からまたソウルまで戻ってくる約束で乗せたのかが重要です。
「光州まで乗せていったけど、危ないから俺は途中で引き返す」は、タクシー運転手仁義にもとります。
光州のタクシー運転手たちがマンソプを責めたのは当然でした。

ソウルの一小市民、ソウルのタクシー運転手だったキム・マンソプは、
こうして光州事件に巻き込まれていきます。市民広場のデモ隊に合流し、
支援運動の女性が差し入れてくれたおにぎりを頬張り、軍が突入してくるのを目撃します。

私以上に韓国の現代史を知らない方もご覧になるでしょうから、あえて説明しますが、
韓国は、戦時体制下にある国です。
朝鮮戦争は、休戦協定は結ばれましたが、停戦や終戦になっているわけではありません。
これは、1980年当時も、2018年の現在も変わらない現実でした。

マンソプにとって、国軍は、韓国に襲いくる北の「アカ」と闘う、
国や自分たち国民を守ってくれる存在のはずでした。
ところが、市民テモ隊を装甲車で押しつぶし、自分やペーターをさえ追いかけて殴りつけてくる
異常な国家権力であることに気がつくのです。
新聞も放送局も、光州で起きている異常事態を、軍政下の厳しい報道検閲のために報道できません。
ペーターが撮影したフィルムは、いま光州で起きている「軍による民主化運動弾圧」を
世界に訴えることができる唯一の記録でした。

「ペーターとペーターが撮ったフィルムを光州の外へ、ソウルへと連れて帰らなきゃならない。
それが俺の仕事だ」
一度は、ペーターを光州に残して、ソウルへと引き上げかけたマンソプでしたが、
もう一度、思い直して、泣きながら、光州へとUターンし、
市民学生ら150人近い人びとが軍の発砲によって亡くなった道庁前へと駆けつけます。

独裁政治や軍政下の弾圧と闘った「抵抗」の映画は、これまでも世界各国で作られてきました。
「タクシー運転手」は、光州事件が起きた政治構造や軍の弾圧糾弾を前面に描いてはいません。
韓国民主化運動の起点ともいっていい光州事件を、市民ドラマとしてソフトに描いています。
しかし、この映画の底に流れるテーマとでも言いますか、
「だれのための祖国か?」という問い直しが、
光州事件から30数年を経て、モン・ジェイン政権を生み出し、
また、南北融和へとつながってきているのを感じます。
韓国民衆史と寄り添った国民映画だから、観た人は笑い、泣き、恨み、震え身悶えるのです。

あなたは光州の人間ではなかったかもしれない。
あなたは80年5月にまだ生まれてなかったかもしれない。
あなたは80年5月に光州で起きた事件を知らなかったかもしれない。
でも、ひよっとしたら、キム・マンソプはあなただったかもしれない。
なぜ、光州で、民主化を求めた市民や学生が、
国軍に撃たれなければならなかったのか。
だれが、なぜ彼らを殺したのか。

2018.5.18 光州事件から38年目を想いつつ。


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